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Category Archives: 池田勇諦(前住職)の話
中日新聞 〈人生のページ〉 ⑱
仏に従いて 本国に還(かえ)る 浄土の祖師・善導 暁烏(あけがらす)敏(はや)は「死」について、 「自分が死ぬことを計算に入れないような人生観は、とても信用できない」 … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑰
南無阿弥陀仏に あいまいらせんことこそ ありがたく めでたくそうろう御果報にては そうろうなれ 親鸞 『書簡』 新年おめでとう、の挨拶をかわす。私は年来、親鸞 … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑯
われ思う 故にわれ間違う ジャン・ピエール・ランタン デカルトの有名な「われ思う故にわれあり」は、 あらゆるものを疑うことができても、 かく疑うわれの存在することは疑えない … Continue reading
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「ほんに いままで知らなんだ」
「教え」に対する私たちの姿勢は、「教え」を分かろうとしていて、仏法を聞いていないのではないでしょうか。仏法は、私に何を願ってくださっているのかを棚上げして、分かるとか、分からぬとか・・・。 分かれば救われる … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑮
おお無明よ 『暁烏敏全集』 ゴータマ・シッダールタ(釈迦)のさとりの意味を、先人はこの一語で表現した。 既存のインド固有の民族宗教にも求めるものはなく、 独り菩提樹 … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑭
則天去私 夏目漱石 文豪・夏目漱石は晩年の四十四歳のとき、胃潰瘍のため吐血して危篤状態におちいる体験をし、この大患が漱石の人と文学に、一転機をもたらしたといわ … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑬
あなたが人生に絶望しても 人生はあなたに絶望しない ヴィクトール・E・フランクル これは彼がアウシュヴィッツの収容所で、一人の男性からの質問に答えたことばだった。 「もう人生に期待するもの … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑫
天下におのれ以外のものを信頼するより 果敢(はか)なきはあらず しかもおのれほど頼みになら ぬものはない 夏目漱石 門下の森田草平に宛てたこの書簡は、「どうするのがよいか。 森田君、君この問題を考えたことが … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑪
一声(ひとこえ)の念仏の中で八十億カルパもの永きにわたる 造りし罪が除かれる 『観無量寿経』 このことばは、「なむあみだぶつ」を称えることによる滅罪をあらわす。だがそれは、決して安易な罪の消滅をいうの … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑩
大きな恩恵に対しては、恩知らずの振舞いに 出ないひとはまずいない。 高光大船 このことばは、「たいていのひとびとは、小さな義理を返したがる。多くのひとたち … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑨
つねに心の師となし 心を師とせざれ 源信『往生要集』 「二十一世紀は心の時代」、このことばは今も聞くたびに一つのひっかかりを感ずる。 それはわたし … Continue reading
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「善人だから救われない」
■ 生きる意味を問う者にとって 生きる意味を真剣に問おうとする者にとって決定的に大切な意味をもつのは、真実か虚偽かの問題だ。それは私たちの日常が万事「善・悪」の次元であることからして、その善悪の分別を … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑧
自己とは何ぞや これ人生の根本問題なり 清沢 満之 「仏教は自己を明らかにする道」という。だがその場合、自己とはどんな自己をいうのか。 決して社会から切り離した … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑦
勇気こそ 地の塩なれや 梅真白 中村草田男 「地の塩」は『聖書』マタイ伝によるが、塩がすぐれた特性をもつことから、転じて広く社会の腐敗を防ぐに役立つもののことをいう。 俳 … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑥
無限他力はどこにあるのか 自分の天性において これを見る 自分の天性は無限他力の表われ 清沢 満之(まんし) 「了(さと)る」という場合、そこには了る者と了られる真理(法則)の二 … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑤
親鸞は父母の孝養のためとて 一返(いっぺん)にても 念仏もうしたることいまだそうらわず 『歎異抄』 親鸞は亡き父母の追善供養のためと思い、一度も念仏申したことはないと。 何と破天荒 … Continue reading
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『名古屋別院リーフレット』より(二)
「永代経をあげる」ってどういうことですか? 家族の誰かが亡くなった場合、近くの別院やお手次ぎのお寺などに、その永代供養経の懇志を進納する―それを日ごろ私たちは「永代経をあげる」と言っていますね。 たしかにそのとおりです。 … Continue reading
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『名古屋別院リーフレット』より(一)
葬儀を縁として より豊かに、より快適に、より便利にと、とどまるところを知らぬ現代の肥大化した欲望に流されるわたしたちは、却って生活にゆとりを失い、自己主張ばかりが目立ち、人間関係が煩わしくなっていないでしょうか。 そうし … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ④
あなたはあなたで在(あ)ればよいのです あなたはあなたに成(な)ればよいのです 『ミリンダ王の問い』 これは古い聖典からの取意の文である。かつての知人の詩集で読んだ、 俳人、加賀千代女の句を想起した。 あるとき千代女が、 … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ③
わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか マタイ・マルコ福音書 これは十字架に張り付けにされたイエスの最後のことばとして、よく知られている。キリスト教の神学でどのように解釈されるかは別として、次のお二人の … Continue reading
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中日新聞 〈人生のページ〉 ③ はコメントを受け付けていません