Category Archives: 池田勇諦(前住職)の話

『中日新聞〈人生のページ〉今週のことば』として
2001年4月から2006年3月まで連載されたものを、
(順不同で)再録するかたちで連載しています。
あわせて、不定期にそのほかの文章も掲載していきます。

前住職 法話(1)~(4)

2016年12月23日 桑名別院 報恩講      

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「世を汚す」もの

九十五種 みな世を汚(けが)す  ただ仏の一道 独り清閑(しょうげん)なり                      親鸞『教行信証』   これは、ブッタ・シャカムニの批判精神を端的に語るものといえる。 だが、それは自分 … Continue reading

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非合理なるがゆえに信ずる

非合理なるがゆえに信ずる                      坂東性純                            「合理」は人間が理性的存在であるかぎり、尊重されねばならぬ基本だろう。その意味で合理を否 … Continue reading

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本当の宗教とは?

本当の宗教というのは 神も仏もないのかと 思ったところから 出発するものじゃないか                遠藤周作『私にとって神とは』     標記の告白をめぐって著書は、「私に子どもがいて、それが癌( … Continue reading

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法話「開かれた聞法」(動画90分)

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生命の根源

人はみな元気に生まれ 元気の海に還(かえ)る                      五木寛之『元気』  「人間は死んだらどうなるか」。人間がつねに引きずる、古くして新しい問い。著書自身のこれに対する応答として、標記の … Continue reading

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『日本国憲法』第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、 国民の不断の努力によって、 これを保持しなければならい。(下略)         『日本国憲法』第一二条                           近代の立憲政治は国家 … Continue reading

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科学的真理と宗教的真理

世界には 科学的真理と 宗教的真理がある              『日本の名著』第49巻 河上 肇   経済学者・河上肇(1879─1946年)が、 晩年の1937年、小菅刑務所で書いた『獄中贅(ぜい)語(ご)』に こ … Continue reading

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「○○忌」と「●●会」

亡きひとを しのびつつ  如来のみおしえに あいたてまつる                   年回法要式『表白文』    一般に葬儀のときは「忌中」、年回法事の場合は「○回忌」、 と「忌」の字を用いるが、「忌」は日本民 … Continue reading

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道徳と宗教

行者は常に智慧(ちえ)をもって冷静に観察し 心を邪網にかからせてはならない                  親鸞『教行信証』口語訳    道徳と宗教の命題において、何よりも自戒すべきは、両者の混同による宗教、とくに仏教 … Continue reading

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前住職法話(本山にて2011)

「浄土真宗ドットインフォ」(真宗大谷派)より転写 池田勇諦法話 (2011年11月28日 750回忌ご正当報恩講) http://jodo-shinshu.info/2015/09/24/3348 先生方の法話を動画で聞 … Continue reading

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宗教は人生の目的であって、手段ではない

宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、 教育上これを尊重しなければならない                 『教育基本法』第九条前項    最近、宗教教育の必要性の提言をよく聞く。中には「現在の学校教育 … Continue reading

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「報恩」

そもそも当月の報恩講は 開山(かいさん)聖人(親鸞)の 御遷化(せんげ)の正忌(しょうき)として 例年の旧儀とす                        蓮如『御文(おふみ)』    「恩」がもはや忘れ去られた言葉 … Continue reading

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ほんにいままで、知らなんだ③

●「七つには 泣いて笑うて地獄をつくる、浄土の中の地獄とは、ほんにいままで、知らなんだ」。これもほんとに味わい深いと思うんですよね。私たちは、浄土の中に置かれておりながら、自我・分別・はからいいっぱいで地獄に作り替えてお … Continue reading

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ほんにいままで、知らなんだ②

●「一つには、必定地獄と聞きながら、うぬぼれ心にだまされて、堕ちるわが身ということを、ほんにいままで、知らなんだ」。これは結局、自分の今日の足下に気付かせて頂く、それこそ地獄行きだと聞かされながら、自分の自惚れ心に騙され … Continue reading

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ほんにいままで、知らなんだ①

一つには 必定(ひつじよう)地獄と聞きながら うぬぼれ心にだまされて 堕(お)ちるわが身ということを ほんにいままで、知らなんだ   二つには 不定(ふじよう)のいのちをもちながら よもやよもやで日を送る 今宵も知れぬい … Continue reading

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非僧非俗

しかれば すでに 僧にあらず 俗にあらず                     親鸞『教行信証』    親鸞は越後流罪という逆風を縁として、無仏の世を真に生きぬく仏教徒のありかたを、標記のことばで表現した。  そこには … Continue reading

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人間は正義に立つと どんな残酷なことでもする

人間は正義に立つと どんな残酷なことでもする                        司馬遼太郎   中・韓両国との不協和音のきしむ中で、 今年の8月15日も過ぎた。 それにつけても思われるのは、戦後60 … Continue reading

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いのり

世のいのりにこころいれて・・・世のなか安穏(あんのん)なれ 仏法(ぶっぽう)ひろまれと おぼしめすべし 親鸞『書簡』    祈りは、宗教の精神であり原理であって、 祈りを否定して宗教はないといわれる。 だが、そこに問われ … Continue reading

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「生きている意味がない!」

死を求むるに得ず 生を求むるに得ず                   『大無量寿経』五悪章   かつて過労に倒れ、妻として、母として、嫁として、 何一つその責任を果たすことができなくなった女性から、 「もうわ … Continue reading

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