中日新聞 〈人生のページ〉 ⑨

 

つねに心の師となし 心を師とせざれ

                              源信往生要集

「二十一世紀は心の時代」、このことばは今も聞くたびに一つのひっかかりを感ずる。

それはわたしたちの、物は物、心は心、という物と心を実体化する意識が問いかえされなければ、心といってもせいぜい物の補充役の位置でしか聞かれないからだ。

もともと物と切り離した心が観念論なら、心と切り離した物もまた観念論でないか。物を離れて心は成り立たず、心を離れて物もまた成り立たない。同時的だ。この物と心の同時的一体性を生きる具体的人間、このわたしが「心」なのだ。それはわたしが自覚的存在だから。

ならば、この「心」をごまかしなく知見していく“もう一つの心„、真の主体の獲得こそ現代の課題でないか。標記のことばに、その促しを聞く。

2002年6月30日

 

 

This entry was posted in 池田勇諦(前住職)の話. Bookmark the permalink.