2025/04/22
熊田光男さんメール
社員の皆様へ
今日の中日新聞に、五木寛之氏の「たそがれ 生きる価値はある」というコラムがありました。
超高齢化時代において、92歳になる五木氏が、「たそがれの時」をどう生きるかを
まとめたものでした。
2011年に書き下ろした同氏の著書「下山の思想」について触れられていました。
私も、本棚のどこかにこの書籍があると思いますが、もう一度読んでみたくなりました。
「たそがれていく」、つまり、人生の登山から下山に入るときに、
人々は、「老」と直面し、首を垂れて下山していくものであると思っていますが、
同氏は、「豊穣な下山」を提案し、「下山の思想」を明るく書き記しています。
コラムの中で、「老いることは 頼ること つえのように」と題して、
現在のテクノロジーを「つえのように」頼っていくものだと、
独特の表現でアドバイスをしてくれています。
同氏は、「人生の目的は、”自分の人生の目的”をさがすことである。」とし、
年を重ねる毎に、その言葉の深みが増してきているように思えます。
平壌で生活していた時に、ソビエト軍の侵攻を受け、逃げる途中に最愛の母親を亡くし、
命からがら日本に帰還した五木少年の目には、
「生きることがどれだけ大変なのか」を見せつけられたのだろうと思います。
戦後の動乱期を経て、人の悲しみ、憎しみを通して「人」を見つめ、
その中から紡ぎ出した五木寛之氏の、
偽善ではなく着飾らない、本質を突いた言葉がとても好きです。
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肉体的な弱点でも、内面的なものでも、
それを、他人に気づかれまいと苦心するところから、
人間は、醜くなるのです。
人間は、誰でも自分がいちばん大切なのです。
そして、そのことを、「ほんとうに自覚した人間」だけが、
自然なかたちで、他人を大切に思うことができるのです。
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自分をさらけ出すことができる、そんな自分を本当に好きになり、大切にすることができてこそ、他人に優しくなれるものだと、教えてくれています。今の偽善ばかりの社会において、この言葉は、私の胸の中も深いところまで、しみ込んできますね。