中日新聞 〈人生のページ〉 ⑰

 

南無阿弥陀仏に あいまいらせんことこそ

ありがたく めでたくそうろう御果報にては

そうろうなれ

                      親鸞 『書簡』

 

新年おめでとう、の挨拶をかわす。私は年来、親鸞書簡のこの一節を年頭に思う。

意訳すれば、

「なむあみだぶつに遇(あ)わせていただくことこそ、ありがたく、めでたい幸せでありましょう」となろう。

 

いまや日本は高齢化社会に入り、しかも世界一の長寿国を誇る。いのちがつねに話題になりながらも、「どれだけ生きるか」の量的ないのちに関心が集中しがちだ。

そこに「どんないのちを生きるか」の質的ないのちが自問されなければ、量的な長寿は単純によろこべない。

親鸞の書簡のことばは、その点を提起しているのだ。

なむあみだぶつは、「幸せの条件と、幸せそのものとは、異質である」ことを告げているからだ。

2002年1月13日

 

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