『名古屋別院リーフレット』より(二)

「永代経をあげる」ってどういうことですか?

家族の誰かが亡くなった場合、近くの別院やお手次ぎのお寺などに、その永代供養経の懇志を進納する―それを日ごろ私たちは「永代経をあげる」と言っていますね。
たしかにそのとおりです。しかしそれだけでは、なぜそんなことをするのか、またその意味は何なのか、という疑問が依然残ります。それではいま私たち“真宗門徒にとって永代経とは何か”について、一言確かめあいたいのです。
端的に申して、そこには以下の二つのことがあるのです。一つは施主の心情です。それは何と言っても亡き人を追慕する心から、手篤く供養をしたいという願いのあらわれであることです。
ならば、それは単にご住職ら僧侶に読経さえしてもらえば供養になるというのでしょうか。そんな安易なことでは決してないはずです。
では、それは何か。いまは亡きある師が、ご門徒宅でそこの父親の年回法要をつとめられたときのことです。
施主の息子さんが「ご院主さん、今日は丁重に読経をしてもらったから、きっと死んだおやじにとどいとることでしょう」。師云く「おそらくとどいとらんと思うよ」。施主はびっくり、「どうして?」。師云く「生きとるあんたにとどいとらんのやから、死んだおやじさんにとどくわけがないと思うがなあ」。

 何ときびしい、だが実に言い得て妙!
「供養」は仏陀の説法を聴聞すること(読経)によって、生者と死者が真に出遇うことです。それは死者が生者にとって、自分の生きざまを問いかえさせてくださる仏だったと拝めることです。
仏法聴聞によってそうした供養を営む道場が真宗のお寺ですから、この仏法が後々まで相続されていくようにとの願いから、亡き人を縁としてお寺の教化事業の資金を進納するというのが、いま一つの永代経のこころです。その意味で永代経とは、<永代経法義相続経>と言えるでありましょう。   (池田勇諦)

(名古屋別院教化事業部に許可を得て掲載しています)

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