中日新聞 〈人生のページ〉 ⑱

仏に従いて 本国に(かえ)

                    浄土の祖師・善導

 

暁烏(あけがらす)(はや)は「死」について、

「自分が死ぬことを計算に入れないような人生観は、とても信用できない」喝破した。

近年ことに多発する犯罪や事故、(がん)などによる死が連日のように報道される。

その都度マスコミはこぞって「天国へ行く」という。

だが、「天国」とは曖昧(あいまい)な言葉だ。おそらくキリスト教からは、「天に(ましま)す父なる神の国」となり、仏教からは人間の欲楽境、「天上界」となる。

では、いずれが、などの論ではない。

それにつけても強くひかれるのは、「本国」の言葉だ。

この現実を「他郷」と批判し相対化する原理として、真に人間存在の根っこ、故郷を表す言葉だがらだ。曖昧な「天国」の語に(えら)んで、「本国」の言葉を提出したい。 一提言。

2003年3月9日

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