一声(ひとこえ)の念仏の中で八十億カルパもの永きにわたる
造りし罪が除かれる
『観無量寿経』
このことばは、「なむあみだぶつ」を称えることによる滅罪をあらわす。だがそれは、決して安易な罪の消滅をいうのではない。もともと消えてなくならぬものが罪だから。
ならば、滅罪とはなにか、罪の覚知である。覚知は罪を悲しむ心であり、罪を問い続けていく心だ。
今年も敗戦の日・8月15日を迎える。過去の歴史を裁くのはやさしい。責任を追及することも不可能ではあるまい。
だがそこに断じて欠落してならぬ一点は、消滅することのない過去の罪過を痛む心だ。なぜなら、二度と過ちをくりかえしてならぬ共生の歩みとなる心だから。人間として、しかも日本国民として。
2001年7月29日