中日新聞 〈人生のページ〉 ③

わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか

マタイ・マルコ福音書

これは十字架に張り付けにされたイエスの最後のことばとして、よく知られている。キリスト教の神学でどのように解釈されるかは別として、次のお二人の指摘に耳を傾けたい。

「イエスは苛(か)酷(こく)な状況の中で、ついに人間の本性をさらけだし、神にたてついた。だがそれによって救われたのだ」。これは玉城康四郎氏である。

「本当の宗教というのは、神も仏もないのかと思ったところから出発するのじゃないか。それを告げていないか」。これは遠藤周作氏である。

読者諸氏は、いかがだろうか。わたしたちのイメージする神や仏が消え去るとき、わが偶像の崩壊するとき、そこに真に宗教することが始まるのだ。

2001年6月3日

This entry was posted in 池田勇諦(前住職)の話. Bookmark the permalink.