Category Archives: 池田勇諦(前住職)の話

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「お盆」の意味

七月十五日 僧自(じ)恣(し)の日に 百味を盆に盛り 仏僧に供(く)施(せ)す                       『盂蘭盆経』取意    お「盆」は古代インドのサンスクリット語・ウランバナに相当する音訳「盂蘭盆 … Continue reading

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「答えは問いの中にしかない」

結論が出なくても深く思索したその過程の方が、 よほど大切である。                  『全国青少年読書感想文』  これは標記のコンクールに高校の部で入賞した 安藤久恵さんという女性徒のことば。 池田晶子著『 … Continue reading

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鯉のぼり 泳ぐ力は 向かい風

諸行は無常にして 是(こ)れ生滅(しょうめつ)の法なり 生滅 滅し已(おわ)れば 寂滅を楽と為(な)す                       『涅槃(ねはん)経』聖行の章    この『無常偈(げ)』は人生の要諦をあ … Continue reading

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自分を映す鏡とは

  自分を映す鏡とは 外の世界や 他者の存在だ                         高村 薫  近年、自殺者が年間3万人を越え、 その未遂者を加えればその数は十倍にもなろうかといわれる。  自らいの … Continue reading

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天上天下唯我独尊

天上天下(てんげ)に 唯我独りにして 尊し                        大蔵経24    現今の生命科学の発達には、すさまじいものがある。 だが、それによって「生命」とは何かが解きあかされたであろうか。 … Continue reading

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不断煩悩得涅槃

煩悩を断ぜずして 涅槃(ねはん)を得るなり                      親鸞『教行信証』    煩悩を断滅して自己の完成をという、 理想主義がもつ観念的虚構性を親鸞は見破った。 あくまで煩悩を引きずる現実の … Continue reading

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「病という名の あなたへ」

「病という名の あなたへ」               福井県三方町編『のこすことば』    標記の言葉は、高校一年の高間史絵さんという 一少女の書いた作文のタイトルである。 一読して、その豊かな感性と自分を見 … Continue reading

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「一年の計は」

簡素とは生命にとって非本質な部分を切り捨てて 生命の本質を顕わしていくことを意味する                    『毎田周一全集』2    この「簡素」とは、いわゆる簡単・素朴・質素・粗末などといった印象のもの … Continue reading

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「元旦」とは

元は本なり一なり天なり天地の大徳なり 万物を育成する徳 旦はよあけあけがたあかつき                     諸橋『大漢和辞典』   一月一日をなぜ「元旦」とよぶのか。 辞書によれば標記の字義が見られる。 … Continue reading

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「除夜の鐘」に憶う

朝の来ぬ 闇夜を告げる 除夜の鐘                           不詳   往(ゆ)く年をふりかえり、来る年に思いを馳(は)せる「除夜の鐘」が、 今年もあと2週間になった。よく“一年の罪ほろぼしに、鐘 … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉘

ふいっと 分(わか)らして もらったいな                        妙好人・源左  私はこの夏、(2001年) 大学の海外ゼミでインドとネパールに旅をした。 インドへは二度目だったが、仏蹟(ぶっせき) … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉗

善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや                     『歎異抄』第三条 よく知られた一文であるが、ここにいう「善人・悪人」とはいかなる意味なのか。日ごろ当時の歴史的・社会的視点からの解釈が際立 … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉖

いつの世も 大人が鏡 子のモラル                        『万能川柳』 昨今、とくに青少年のモラルの低下を歎(なげ)く大人の声は高い。 かといって、妙案などあるはずはない。 ただ大人のわたしたちが、 … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉕

自ら 身を 燃(とも)す                   『法華経』第二十三章   このことばは師仏の教えによって覚醒(かくせい)した仏弟子の覚悟のほどを告げる、 燃(ねん)身(しん)供養(くよう)である。 供養は「 … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉔

法(ほっ)身(しん)ともうす仏(ぶつ)となるなり                        親鸞『書簡』   仏教は霊魂不説(霊魂を説かず)の教えである。 では、人間は死んだらしまいなのか、それを断見(だんけん)とい … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉓

真の言(ごん)は 偽(ぎ)に対し 仮(け)に対するなり                      親鸞『教行信証』   生きることについての「真実」を求めてやまなかった親鸞は、 単に真実が知れたいという観念的なことではな … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉒

  信仰はそれ自らに 狂信と軽信への批判をもつ                        ティリッヒ   日本語訳の彼の論説は、『信仰の本質と動態』(谷口美智雄訳)が最初だといわれる。 そのなかに彼は、「信 … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ㉑

こんにちは 赤ちゃん わたしがママよ                         永 六輔 宗教性を喪失した現代人は、子どもをつくる、つくらぬという。 もはや、あの遺伝子とこの遺伝子を使って、もっといい子どもをつくろ … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑳

いくたびか さだめしことの かわるらん たのむまじきは こころなりけり                        蓮如『和歌』 昨年の自爆テロの事件からも“宗教はこわい„の風評を耳にする。 だが、絶対なるもののまえで … Continue reading

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中日新聞 〈人生のページ〉 ⑲

譬(たと)えば 人ありて西に向かいて行かんと欲するに 忽然(こつぜん)として中路に二つの河あり  火の河 水の河(抄)         『観経疏』                          7世紀に中国に出た求道 … Continue reading

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