おお無明よ
『暁烏敏全集』
ゴータマ・シッダールタ(釈迦)のさとりの意味を、先人はこの一語で表現した。
既存のインド固有の民族宗教にも求めるものはなく、
独り菩提樹下に坐したゴータマの内面の葛藤を、
誘惑する悪魔の来襲と守護神・帝釈天との闘いで仏伝は描く。
しかしその守護神もついに悪魔の軍勢の前に逃亡した。どこへ?
意外にも悪魔の大軍の中に。
その瞬間ゴータマは豁然(かつぜん)と証悟した(十二月八日)。
悪魔とは欲望であり、帝釈天とは理性である。
ゴータマを欲望からまもり、向上を意欲する理性。
それが何と欲望と同質ではないか。
人間の至宝とする理性の闇に回帰した、懺悔のさとりを告げるこの一語だ。
もはや理性の無明的傲慢さをゆるせぬ生きかたが、そこに始まった。
現代の病根を射抜いている。
2001年11月18日