「神も仏もあるもんか!と捨てたところから、本当の宗教は始まるのです」と先人は語られた。私の思い描いてい神仏が壊れたところに開かれる世界がある。
現前の「事実」の意味を新たに付与される教えが南無阿弥陀仏がある。
ふだん、我々は様々なもの期待し、要求して生きている。様々なものを依りどころとして、生きてこれた。しかし、当てにしているものが壊れてしまう。「こうなったら神でも仏でも」と最後の取り引きみたいなことまでやる。それでもダメだ!
その、だめだ!!というところから、始めていける教えが南無阿弥陀仏。
私の思い込みがひっくり返えされるとき、あらたな意味をいただいて、現前の事実と対決していくのだと。














