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Category Archives: 池田勇諦(前住職)の話
宗教は人生の目的であって、手段ではない
宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、 教育上これを尊重しなければならない 『教育基本法』第九条前項 最近、宗教教育の必要性の提言をよく聞く。中には「現在の学校教育 … Continue reading
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「報恩」
そもそも当月の報恩講は 開山(かいさん)聖人(親鸞)の 御遷化(せんげ)の正忌(しょうき)として 例年の旧儀とす 蓮如『御文(おふみ)』 「恩」がもはや忘れ去られた言葉 … Continue reading
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ほんにいままで、知らなんだ③
●「七つには 泣いて笑うて地獄をつくる、浄土の中の地獄とは、ほんにいままで、知らなんだ」。これもほんとに味わい深いと思うんですよね。私たちは、浄土の中に置かれておりながら、自我・分別・はからいいっぱいで地獄に作り替えてお … Continue reading
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ほんにいままで、知らなんだ②
●「一つには、必定地獄と聞きながら、うぬぼれ心にだまされて、堕ちるわが身ということを、ほんにいままで、知らなんだ」。これは結局、自分の今日の足下に気付かせて頂く、それこそ地獄行きだと聞かされながら、自分の自惚れ心に騙され … Continue reading
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ほんにいままで、知らなんだ①
一つには 必定(ひつじよう)地獄と聞きながら うぬぼれ心にだまされて 堕(お)ちるわが身ということを ほんにいままで、知らなんだ 二つには 不定(ふじよう)のいのちをもちながら よもやよもやで日を送る 今宵も知れぬい … Continue reading
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非僧非俗
しかれば すでに 僧にあらず 俗にあらず 親鸞『教行信証』 親鸞は越後流罪という逆風を縁として、無仏の世を真に生きぬく仏教徒のありかたを、標記のことばで表現した。 そこには … Continue reading
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人間は正義に立つと どんな残酷なことでもする
人間は正義に立つと どんな残酷なことでもする 司馬遼太郎 中・韓両国との不協和音のきしむ中で、 今年の8月15日も過ぎた。 それにつけても思われるのは、戦後60 … Continue reading
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いのり
世のいのりにこころいれて・・・世のなか安穏(あんのん)なれ 仏法(ぶっぽう)ひろまれと おぼしめすべし 親鸞『書簡』 祈りは、宗教の精神であり原理であって、 祈りを否定して宗教はないといわれる。 だが、そこに問われ … Continue reading
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「生きている意味がない!」
死を求むるに得ず 生を求むるに得ず 『大無量寿経』五悪章 かつて過労に倒れ、妻として、母として、嫁として、 何一つその責任を果たすことができなくなった女性から、 「もうわ … Continue reading
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一生 風通しよくて暮しましょう
一生 風通しよくて 暮しましょう 曽野綾子『夫婦の情景』 主人公の麻生友彦には、ひとつの泣きどころがあった。 学生時代から髪がうすく、就職にあたって彼は“かつら„をつけることにし … Continue reading
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「もったいない」
日本語の「もったいない」という言葉に 感激した 世界に広めたい ワンガリ・マータイ 標記のことばが昨年(2004年)のノーベル平和賞受賞者で、 ケニア副環境相・マータイ … Continue reading
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忘れたいという誘惑は大きいが、負けてはならない
忘れたいという誘惑は大きいが、負けてはならない シュレーダー独首相 これは去る1月、ナチス・ドイツがユダヤ人らを大量虐殺したアウシュビッツ強制収容所解放六十年の記念式典における … Continue reading
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2月15日は
仏に帰依せば 終(つい)にまた その余の諸天神に帰依せざれ 『涅槃経(ねはんぎょう)』 2月15日は仏教の開祖・釈迦の入滅の日と伝える。「死」を「入滅」、 涅槃に入る … Continue reading
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汝の欲するものは何か?
お前さん いま何が 一番ほしい 相田みつを『にんげんだもの』 標記の詩は作者の多くの誌の中で、 わたくしのもっとも憶念する一句である。 「お前さん いま何が 一番ほしい あれもこれもじゃ だめだよ … Continue reading
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最大の難関は自分だ
人のわろき事は よくよく見ゆるなり わが身のわろき事は おぼえざるものなり 『蓮如上人御一代記聞書』 価値観の多様化で、いまでは非婚主義の人も少なくないようだ。 だが結婚といえば昔 … Continue reading
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バラバラでいっしょ!(?)
バラバラで いっしょ ─差異(ちがい)を認める世界の発見― 『同朋新聞』 標記の「バラバラ」と「いっしょ」は、まるで正反対。だが、「で」に注目したい。仮にそれを「を」に換え … Continue reading
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宗教体験
水月を感じて 昇降をうる 法然『選択集』 水は昇らずして月を映し、月は降(くだ)らずして水に映る。 満天の星空にかがやく月と、静寂な池の水面に映る月。 この光景から宗教体 … Continue reading
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自由の敵はわがまま
自由の敵はわがまま 『毎田周一全集』 道徳と宗教の命題において、このまえ(2005・7・3日付) 提起した「わがままと自由の際(きわ)」について、いま一言しるしたい。 同じく … Continue reading
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家族の絆を問う「お盆」
高齢化社会の中で、ますます核家族化が進み、家族の連帯が崩れ、家族のぬくもりが失われていく現在、あらためて家族とは、家庭とは、何なのかを問わずにいられない状況であります。 それだけ … Continue reading
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日本よ オレの国よ オレにはお前が見えない
日本よ オレの国よ オレにはお前が見えない 竹内浩三『日本が見えない』 「戦死やあわれ」と悲しみうたい、二十三歳で戦死した詩人・竹内浩三の 作品集が、いましずかに注目されているようだ … Continue reading
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