家族の絆を問う「お盆」

お浄土2

 

高齢化社会の中で、ますます核家族化が進み、家族の連帯が崩れ、家族のぬくもりが失われていく現在、あらためて家族とは、家庭とは、何なのかを問わずにいられない状況であります。

 

 

それだけに、いまこそ人間を、家庭を、真に結びつける絆はいったい何なのか。その一点を深く問い直さねばならない時に思われます。その意味でわたくしは、「お盆」の仏事がとても大切なその機縁をあたえてくださっていることを思わずにいられません。

 

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「お盆」と言えばわたしたちは、亡き人を、先祖を、そしてお墓参りを思います。実は、そのことが「この身」の持つ連続性と関係性をあらわしていることにほかならないからです。連続性とは、この身の経糸(たていと)で、いのちの同根性を、また関係性とは、この身の緯糸(よこいと)でいのちのつながり性を告げています。

いまやわたしたちの生活は、すべてお金ではかり、お金で処理をする経済至上の感覚が、身のすみずみにまで、染みこんでいます。自然破壊・環境破壊はおろか、人間破壊までも巻き込んだ今日の経済的繁栄は、お金で買えないものを、見えなくさせたことに象徴的です。そしてそれは「じこちゅう」の生活空間を際限なく拡大しています。

実は、わたしたちが生きるうえで大事なものほどお金で買えない。いのちが、愛情が、家族が、・・・・・・・。

「お盆」から深く問われています。

前住職(2009年7月 冊子掲載)

 

Chrysanthemum

 

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