そもそも当月の報恩講は 開山聖人(親鸞)の
御遷化の正忌として 例年の旧儀とす
蓮如『御文』
「恩」がもはや忘れ去られた言葉だけに、「報恩」と聞いてもピンと来なくなった。もちろんそこには、それを必然した負の歴史が思われる。だが、「ゴミを放るついでに、ゴミとりまで放るな」の至言ではないが、「恩」が人間存在の根本的事実を語ることに変わりはない。
「恩」はその原語「kr・ta」からして、「作されたる」、あるいは「作されたるもの」の意で、このわたくしを生かすのに
「作されたる」恵みのことをいう。だから自らに「作されたるもの」を知る ことにより、「作されたる」ことから得た力を挙げて「作す」ことへ参加することが願われているのだ。
「報恩」は関係を生きるわたしたちにとって、「じこちゅう」を問いかえす真理の言葉というほかはない。
2003年11月16日
(前住職)