人間は正義に立つと どんな残酷なことでもする

人間は正義に立つと どんな残酷なことでもする

                       司馬遼太郎

 

中・韓両国との不協和音のきしむ中で、

今年の8月15日も過ぎた。

それにつけても思われるのは、戦後60年、

日本国家が自らの非を国民にわびたことがあっただろうか。

それどころか、戦火に散らせた多くの国民の死に対し、

「敬意と感謝」の美辞をもってする“顕彰„意識は、

またぞろ国家に身命を(ささ)げる人間の育成を願うものか、

との疑念を懐かせる。

最近の第九条を中心とした改憲論議のトーンの高さは、

その危惧(きぐ)を一層深くする。

改憲、加憲、創憲よりも、

「活憲が先だろうに」の本紙社説(2005年5月2日付)の

主張の重さに痛く共鳴する。

真に平和を願う国家の祈りは、「感謝」ではなく、

慚謝(ざんしゃ)」であることを銘記したい。

2005年8月28日

 

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