忘れたいという誘惑は大きいが、負けてはならない

忘れたいという誘惑は大きいが、負けてはならない

                   シュレーダー独首相

 

 これは去る1月、ナチス・ドイツがユダヤ人らを大量虐殺したアウシュビッツ強制収容所解放六十年の記念式典におけるドイツの首相演説の一節だ。

 わたくしは昨年(2004年)9月、有志の人たちとポーランドの収容所跡を訪ねることができた。あらためて現地に思いを馳せ、あの遺品の山、古カビのような独特のにおい、部屋から部屋へ重い足を運ぶ。まさに「死の工場」といわれた施設は脳裏に焼き付いている。

 この痛ましい現実も、決して特別な人による特別な行為ではない。国民に選ばれた政治家、エリート官僚。家庭に戻ればよき夫、父であるフツウの人たち。人が人に残虐になることの恐ろしさは、どこからくるのか。大義の「善」に、エゴの「偽」を知る見識の欠落を思う。

2005年3月13日 

前住職

 

                      

 

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