譬えば 人ありて西に向かいて行かんと欲するに
忽然として中路に二つの河あり
火の河 水の河(抄) 『観経疏』
7世紀に中国に出た求道僧・善導は、自らの人生を“自分探しの旅„として生き、
それを「二河白道」という一つの譬喩をもってあらわした。
それは自身の煩悩、貪りと瞋りを、「水の河」「火の河」にたとえ、
それが逆巻き・燃えさかる中に、真の血路を見いだした転換の告白であった。
貪りと、瞋りは個人と世界を貫く現実である。
科学技術の驚異的な発達も、世界に充足と謝念の情をもたらすよりも、
却って我欲と排除と支配の「水の河」と
猜疑と憎悪と殺害の「火の河」とが荒れ狂い、いがみあう無底の陰惨さ。
宇宙飛行は開拓しても、核兵器は手放せないという奇異な現象。
善導の慧眼に学ぶ秋だ。
2003年5月4日