中日新聞 〈人生のページ〉 ⑲

(たと)えば 人ありて西に向かいて行かんと欲するに

忽然(こつぜん)として中路に二つの河あり 

火の河 水の河(抄)         『観経疏』

                        

7世紀に中国に出た求道僧・善導は、自らの人生を“自分探しの旅„として生き、

それを「()()(びゃく)(どう)」という一つの()()をもってあらわした。

それは自身の煩悩、(むさぼ)りと(いか)りを、「水の河」「火の河」にたとえ、

それが逆巻き・燃えさかる中に、真の血路を見いだした転換の告白であった。

貪りと、瞋りは個人と世界を貫く現実である。

科学技術の驚異的な発達も、世界に充足と謝念の情をもたらすよりも、

(かえ)って我欲と排除と支配の「水の河」と

猜疑(さいぎ)と憎悪と殺害の「火の河」とが荒れ狂い、いがみあう無底の陰惨さ。

宇宙飛行は開拓しても、核兵器は手放せないという奇異な現象。

善導の慧眼(けいがん)に学ぶ(とき)だ。

2003年5月4日

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