信仰はそれ自らに 狂信と軽信への批判をもつ
ティリッヒ
日本語訳の彼の論説は、『信仰の本質と動態』(谷口美智雄訳)が最初だといわれる。
そのなかに彼は、「信仰」を、「その曲解と悪評から救おうとする一つの試み」と
記しているが、こんにち「信仰」の汚染化は深刻ともいえる。
「狂信」は自己の信仰の正当化・絶対化にある。他者の意見に耳をふさぎ、
切磋琢磨の道を絶つ。ときにそれが反社会化・非人道化することも、
決して偶然ではない。
それとは対照的に「軽信」は、常識的ではあるが、教養主義をいでない。
それが知的満足にとどまることは、それもまた信仰の冒瀆といえる。
知性無視からも、知性固執からも、真の信仰は成り立たない。
真の信仰は、「真理に対する謙虚さ」に基づくからだ。
2003年6月1日