中日新聞 〈人生のページ〉 ⑳

いくたびか さだめしことの かわるらん

たのむまじきは こころなりけり

                       蓮如和歌

昨年の自爆テロの事件からも“宗教はこわい„の風評を耳にする。

だが、絶対なるもののまえで自己を正当化する過ちこそ、問い返されねばならない。

 

作家の高史明氏は「自分が正義であり、自分以外の空間がすべて敵であるというような発想、そういう戦争を繰り返してきたのは善人意識だ。『歎異抄』でいえば、深い意味での悪人の自覚が欠如し、それが繰り返し、繰り返し戦争を引き起こしている。戦争はかならず自己が正当化される」。

 

この指摘からも、正しい宗教のありかたは、自己と社会の相対化にある。

つまり自己と社会のありのままを知見していく究極的な慧眼(けいがん)の獲得なのだ。

蓮如のこの一首にその見識を聞く。

2002年4月7日

 

 

 

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