道徳と宗教

行者は常に智慧(ちえ)をもって冷静に観察し

心を邪網にかからせてはならない

                 親鸞『教行信証』口語訳

 

 道徳と宗教の命題において、何よりも自戒すべきは、両者の混同による宗教、とくに仏教への誤解だろう。現今の青少年のモラルの低下を歎くあまり、宗教教育の必要性を発想したりすることは、その例に思う。

 たしかに人間の世界には善悪はある。だが、問題はその基準が時代や状況によって動くことだ。もともと状況に応じて人間が考えだした規範だから、いつでも・どこでも・誰にでも、あてはまるものではない。人間が人間らしく生きようとしたとき、その規範に反していかざるをえないことだってある。

 その意味でこの命題の唯一の課題は、わがままと自由の(きわ)だ。しかしそれはどこまでも、自己の衷心の意欲に立つか否かにある。親鸞の生き方に学ぶ核心。 

 2005年7月3日

(前住職)

                       

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