星野富弘さん西帰【2024/04/28】

IMG_20240502_163934大ケガをされた星野さんが、病気や、怪我に「幸」や、「不幸」という性質はない!と言われた。「幸福、不幸」と言ってるのは、その人の先入観、生き方の問題だと。
これは、ホントにすごいお言葉です。
ありがとうございましたm(__)m

南無阿弥陀仏の教えは、「善悪を超える」ということを知らせている。それがハッキリすることが、救いです。
時に悩み、苦しむことがある。その時は必ず、その現実は私にとって、善でなく、悪なのだろう。悪なる現実はやはり、受け止められず苦しむ。
それで、自分を否定したり、他人を拒否したりする。意気消沈したり、イライラしたり、心が落ち込んでいく。

その善悪(幸、不幸)という「ものさし」を超えるのが、南無阿弥陀仏の教えである。超えるとは、「そのまま」(事実)を生きるということです。
そこから、やっと「始まり」ます。
到達点としての救い(信心獲得)でなく、出発点としての救い(信心)です。
そこから、批判することは、声を上げて問題にしていける。新たな歩み出しです。

問題は、嫌なこと、都合が悪い現実は、やはり絶対に受け取れない。理屈では「事実を生きよう!」と言われれば分かる気がする。しかし、現実はそうはいかない。受け止められない。
ここが、回心の課題です。
「自力のこころをひるがえして、他力をたのむ」という立場の転換、依止の転換です。
それは、善悪、優劣、幸福不幸という価値観、ものさしの虚偽が見えてくる、知らされるということだと思います。

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