「世を汚す」もの

九十五種 みな世を汚(けが)す 

ただ仏の一道 独り清閑(しょうげん)なり

                     親鸞『教行信証』

 

これは、ブッタ・シャカムニの批判精神を端的に語るものといえる。

だが、それは自分の信ずるところを絶対化して

他を非としていく質のことではない。

むしろ自分をはじめ、諸現象(諸宗教、諸思想、諸科学等)を

かぎりなく相対化してやまぬものに出遇いえた感動と懺悔の言葉だ。

ということは、欲望の満足だけでは尽くされない人間の闇を問うこともなく、

ただ欲望の追求のみを生きる意味だとする時代と人間(自己)のありかたを

「世を汚す」もの、人間を非人間化するものと告発し続ける

まことの智慧・言葉との出遇いにほかならない。

秋のお彼岸。

“彼岸(浄土)が(われに)到る„ ということも、

この見識の獲得をほかにしてありえぬだろう。

2005年9月25日

(前住職)

 

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