生命の根源

人はみな元気に生まれ 元気の海に(かえ)

                     五木寛之『元気』

 「人間は死んだらどうなるか」。人間がつねに引きずる、古くして新しい問い。著書自身のこれに対する応答として、標記のことばが際立つ。

 ここにいう「元気」は文字どおり、万物を生成する根()的な精()、つまり生命の根源、万物をはぐくむ天地のエネルギーを意味しており、それを親鸞にならって「海」にイメージする。

 だが、注目のこのことばも単に知性的レベルの理解に終始すれば、一つの文学的あるいは哲学的な解釈として、生死を超える力とはならないだろう。

 ということは、親鸞でいえば自分の(ゼロ)性に気づく「ただひとたびの回心(えしん)」において、はじめてうなづける事柄であるからだ。

で、なければ頭の体操で終わるほかはない。 

2004年8月22日

(前住職)

 

                      

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