「信仰」は意外性と驚き-(人間の意識の延長上には開かれない)

ある夜、男は夢を見た。彼は主なる神と共に浜辺を歩いていた。天空におのが人生の一コマ一コマが映しだされた。         

                    大橋保彦訳『足跡』

                      

 そして、それは「どの場面にも二組の足跡が砂浜にあった。

一組は彼の、他は主なる神の足跡であった」。

 だが、「最後の場面が映し出されたとき振り返ってみると、

一組の足跡しかない。しかも彼の人生でもっとも暗い悲しい時に、であった」。

 そこで彼は、主をなじる。「私の一番苦しんでいるとき・・・・

どうして私から離れてしまわれたのですか」と。

 「主は言われた。・・・・あなたの苦しみの時、一組の足跡しかなかったとあなたは言った。

しかし、その時私はあなたを抱き上げて歩いていたのだ、と」。

 仏教とキリスト教の異なりのままに、

「真実」との出遭いかた、を学ぶ。

意外性と驚き、そのほかはない。

自我の功利性が射抜かれるできごとだから。

 

前住職

2005年5月8日

 

 

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