宗祖750回会「記念法話」資料

若さ・誇り・使命  ―親鸞聖人讃仰―

前住職 池田勇諦

〔56〕三朝浄土の大師等  哀愍摂受したまいて

   真実信心すすめしめ 定聚のくらいにいれしめよ

この一首は「正信偈」後半(依釈分)のこころと重なるが、全体が一つの

願いとして表わされ、祈りとなっているところに留意すべきである。

真宗仏教の伝統

・七高僧の系譜 ―信心獲得(自覚)

・聖徳太子の系譜―在家仏教(生活)

(通解) インド・中国・日本の三国の浄土の教えの諸師(七高僧)たちよ、われらを哀れみ護らせたまいて、真実の信心を勧めたまい、正定聚不退の位に入れさせたまへ

 

八十六歳に至って、このような切実な願い、祈りを表白されるとは何ごとか、と思わずにいれないほどであるが、ここにこそ親鸞聖人の真骨頂が拝察される。

それは聖人にとって二十九歳の吉水入室の感動の等流相続でなかったか。

これこそ本願念仏の師教に生きられた聖人の真の「若さ」といただく。

惟えば、この事実はすでに〔54〕「義なきを義とす」と歌われたが、「義」

(自我のはからい)のすたらぬ自分を七高僧の前に懺悔告白されたことを意味するものと言えよう。

 

〔57〕他力の信心うるひとを うやまいおおきによろこべば

   すなわちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまう

この一首は『大無量寿経』の「東方偈」に「法を聞きて能く忘れず、見て敬い得て大きに慶べば、すなわち我(わ)が善き親友なり」とあるのにもとづく。

前の「和讃」をうけて、師教に随順することは、取りも直さず仏意にかなうことであることを歌われる。

(通解) 他力の信心をえて、広大の仏徳を恭敬しよろこぶひとを、教主釈尊はわが親しき友であるとほめたたえられる。

 

句面からは一見、他力の信を得たひとを、もう一人のひとが、見て敬いよろこぶことのようにみえるが、そうではなく(これは「倒語の筆格」と言われ)第一句「他力の信心うるひとを」で「人(にん)」を挙げ、第二句の「うやまいおおきによろこべば」でその「相(すがた)」を示すものと解される。

「すなわちわが親友ぞと」……「慈悲」の「慈」はmaitreya(―)「最高の友情」と言われ、「悲」はkaruna(―)「呻き」と言われる。

友情は真に対等であることによる人格と人格の出遇いを言う。その出遇いの内実がkaruna「呻き」であって、それは「同苦の心」、苦を同じくする心を指す。それは自分の問題を他者のうえに、他者の問題を自分に見る感覚であって、「いのち」の尊厳にめざめた「共に」の生きかたである。

ここにおいてこの一首は釈尊自身のおよろこびであると同時に、私たちの誉(ほま)れ「誇(ほこ)り」、真の栄誉を告げられている。

 

〔58〕如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

   師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし

 

この一首の背景には善導大師の『観念法門』に

「敬って一切往生人等に白(もう)さく、もしこの語(ことば)を聞かば、

即ち声に応じ、悲しみて涙を雨(ふら)し、劫を連ね、劫を累(かさ)ね身を粉にし、骨を砕きて仏恩の由来を報謝して本心に称(かな)うべし」

さらに『聖覚法印表白』に、師法然上人の恩徳について

「倩(つらつら)教授の恩徳を思へば、実(まこと)に弥陀の悲願に等しきものか。骨を粉にしてこれを報ずべし、身を摧(くだ)きてこれを謝すべし」とあり、親鸞聖人は『銘文』にこれを解釈される。

この一首は決して理想論ではない。親鸞聖人は自分にとってそれが事実でないことは言ったり書いたりなされないからである。と言うことは「如来大悲」「師主知識」の恩徳によって、自身の無明に気づかされ、現前のいのちの事実に向き合っていく確かな生きかたを教えられた感動の讃歌であったと拝される。

「報ずべし」「謝すべし」の「べし」は『大無量寿経』の「汝(なんじ)自(みずか)ら当(まさ)に知(し)るべし」の用法に同じく、恩徳を知らしめられたがゆえに、かならずそれに報いていくであろう、謝(こた)えていくにちがいない(推量形の「べし」)との聖人の自己確認である。

この恩徳讃が聖人の八十六歳の作であったことは、聖人自身にとって、日々老苦の中、また長子・善鸞の義絶という深い業縁の中を、如来大悲・師主知識の恩徳があればこそ、業苦の現実を一生懸命尽くしてゆくことができると起(た)ちあがれた生きる意欲と言える、生きる「使命」の讃歌、それがこの「恩徳讃」といただかれる。

その意味から、ここであらためて言えることは『正像末和讃』全五十八首の終り三首は親鸞聖人が阿弥陀の本願念仏に生きられたことにおける「若さ」と「誇り」と「使命」を歌う白眉の和讃として、その感銘も格別である。

それだけに、とくに最後の「恩徳讃」は、聖人の全和讃を代表する一首といただかれる。それは如来大悲の「仏恩」と、師主知識の「師恩」との値遇によって、その恩徳に仕えていく「奉仕の僧伽」として生成したところに、わたしたちの宗門の原点と伝統があるからである。

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