非合理なるがゆえに信ずる

非合理なるがゆえに信ずる

                     坂東性純

                          

「合理」は人間が理性的存在であるかぎり、尊重されねばならぬ基本だろう。その意味で合理を否定または無視する「不合理」には、ついてゆけない。だが、合理至上の「合理主義」にはそれ以上の問題を感ずる現代でないか。それは現在のあらゆる領域での危機的状況が、それによるひずみを否定しえないからだ。

理性は人間を善に向かわせ、理想を追求させる人間の至宝だという。しかしその輝くばかりの理性が、実は煩悩(エゴ)以外の何ものでもなかったとの気づきが釈迦(しゃか)のさとりでなかったか。

理性の正体を透視する教えとの出遇いは、理性無視(狂信)、理性至上(軽信)を、共に非とする「非合理なるがゆえに信ずる」生きかた(正信)を開く。真理に対する謙虚さにほかならない。

2006年2月19日

前住職

 

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