「他者」は自己を映す

20191102_233334「あんなことするなんて、信じられない!」など、人に対して不信をいだくということがあります。
先人の言葉に『他者は自己を映す鏡である』と。
大変な事件や、悲惨なことが多いです。確かに信じられないことが多いです。
親鸞さんの視点から言えば、それは『縁』の違いであると言います。ひとつの行為が行われた時(結果)、一つのことだけが原因ではないと思います。無量無数の因縁があって、その行為の結果が具体的に現れます。
その状況下におかれると、わたしも同じことを、する可能性があるということです。
人間とは、私は、それほどの残酷な、恐ろしい性質を持っていることを、事件から知らされているのでしょう。事件の「事件性」から学ぶこと。
他者が、私の表面に現れていない実相を知らせているのだと思います。
「人の振り見て、我が振り直せ!」
というより
【人の振り見て我が振りとせよ‼️】ということかと。
そこから、おかしいこと!は、おかしい!と声を挙げていくのだと思います。
他者の行為、行動を、切り捨てるというより、その背景とか、そこにある怒り、悲しみとかを知りつつ、批判し、共感し、「私」の正体を教えてくれた「ご縁」としていければと。

みたいなことかと(^_^;)

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