廃悪修善―悪を廃して善を修める。
という考え方が私たちの毎日です。
「悪」と捉える内容は、さまざまです。
当然、「善」も同じです。
すべての生活の動き、発想の根っこは、
「善を求め、悪を廃する」
ということに、なっています。
仏法の聞き方も
廃悪修善でとらえています。
これでなんとか世の中、共同体、人間関係も、
「わたし」も成り立っています。
人間が生きるためにはなくてはならないものです。
努力、向上、進歩も
そこから起こってきたものです。
しかし、廃悪修善は時に
冷酷さ、「殺」を起こします。
排除、自死など。
「転悪成徳」―悪を転じて徳と成す
「智慧」(視点)があることを、
どういただけるか?
改めて問われています。