2019年修正会「総代感話」

2019年修正会、お寒いところ、御参詣下さり、ご苦労様でありがとうございました。

西恩寺総代を務めさて頂いております、桑原克と申します。

今回、お話をさせて頂く当番ですので、よろしくお願いいたします。

私は今、長島PA伊勢湾岸高速道路のレストラン厨房で働いています。今年の3月末で定年になります。17年間の勤務になりました。仕事に対しての信念がありまして、料理の味付けから、盛り付けに至るまで、お支払い頂く金額以上に喜んでいただけることを目指して、また、必ずリピーターとなることを願って仕事をして参りました。

うれしいことがありました。私の作った料理を食べられたお客様が「美味しかった」とお声がけくださり、食事後わざわざ売店でお菓子を買い、届けて下さつたこともありました。誠意を尽くせば、真心が通じると思いました。

私たちの時代は、仕事は目で盗むものだと聞かされてまいりました。現代は少し様子が変わったと言われます。指示をされないと動かないとか、あまり周りとか、全体を見ていないとも言われますね。また、しかられたらやめてしまうとか様々ですね。

仕事は、本来「目的」であって、「手段」ではないように思いますが、現実はそうはいきませんね。自分を実現する中身としての仕事であることが願われています。仕事において自分を実現していく。ある意味、仕事はご縁ですので、どんな仕事でも、その仕事を縁に自分を表現し、実現していくチャンスにしていくことだと思います。

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仕事場では、仕込みの野菜カット、包丁研ぎは私の専門職になっています。職場の人間関係も慣れて、楽しく仕事が出来るので、仕事をやめるのは寂しく思います。私の都合を優先に、休みの希望も聞いて下さる有り難い職場でした。私はお寺での仏教の学びや、行事の準備を最優先にしてきました。仕事も「仏事」-仏法の中身で有ります。仏さまの智慧を聞かせていただきながら、お陰で無事に勤める事が出来ました。残す期間、精一杯務めてまいります。

さて、あらためて昨年を振り返ってみますと、9月に、妻せつ子の3回会の法事を勤めました。思い返すと、妻の入院介護を通して家族が、「生老病死」という「いのちの事実」を突き付けられて、その現実にうろたえ、涙しながら、「自力」が間に合わないことを教えられました。私たちは、自分が生きて、自分が苦労して、自分が頑張って生きていると思っていますが、そうではないのですね。西恩寺で作った封筒の表書きに「この身も、この地球も借家」と書かれています。この身が私の私有物ではなく、借り物である。この身が、ご縁の中で与えられ、ご縁がつきれば、家も、財産も、家族も、すべて置いて、帰っていく者であるということです。与えられた身であるからこそ、いのち尽きるまで、精一杯、全力投球していきたいと思います。その生きる力が、仏さまの智慧です。

そして、先月の西恩寺、報恩講に長男家族が参ってくれた事、大変嬉しく思っていました。私の課題は、仏法相続です。子や孫に、ひいては、まだ仏縁のない方に、どう、仏縁を届けていけるかを考えています。「ただ、仏法は聴聞にきわまる」と言われます。聞いて、聞いて聞きぬくと言われます。そのことが、「自分」と出会い、「他者」と本当に出会っていく道だと教えられています。本年も皆さんと仏法聴聞のご縁のある事を願っています。なにとぞよろしくお願いいたします。以上で感話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

(2019年1月1日1546285920746

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