相田みつをさん㊿

熊田光男社長メール(2015/07/24)

社員の皆様へ

 詩人であり、書家である、相田みつをの『書』には、

 やさしさというか、本当のあたたかさが、伝わってきますね。

 私と同じ、「みつ“お”」という読み方でも、

 私は、五十音の「あ行」にある“お”ですので、後ろには「か行」や「さ行」など、

 まだまだ、続くと安心している“お”です。

 でも、相田みつをの“を”の次には、いよいよ最後の「ん」しかありません。

 最後を知っているから、今に感動し、

その感動を伝えることができるんでしょうね…

 相田みつをの貴重な話です。

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今日、新たな発見をして感動する。

 そのためには、心に余計なものが入っていない

“柔らかい心”でないと駄目なのです。

 私は毎日、何かに感動し、感激して生きていきたいと思います。

 それが、人間が生きることだと思うからです。

 そして同時に、人に感動を与える『書』、

 人の心に響くものを書いていきたいと思っています。

 うまさに徹すれば、それはそれで、人を感動させることもできるでしょう。

 しかし、それは所詮(しょせん)、私にはできないこと。

 また、ただうまければいいというものでもないと思います。

 たとえば結婚式の祝辞で、偉い人の代読を聞いたことがあるでしょう。

 巻き紙に書かれた立派な内容のことを、とても上手に読みます。

 しかし、感動はまったくありません。

 ところが、新郎新婦の友人などのたどたどしく、

決してうまいとはいえない話に、

 大きな感動を受けることがありあます。

 それは何が違うか、一言でいえば、

真心がこもっているかどうかだと思います。

 友達のために何かいってあげたいという感動が、

それを聞く人の心にも伝わるのです。

 『書』も同じです。

 自分自身に感動がないのに、

人に感動を与えることなどできないでしょう。

 いい書とは、練習ではなく、

 毎日の生き方の総決算としてできるのだと思います。

 自分の目がいつも光って、心が生き生きしていないと、

いいものはできない。

 感動のない者は

 なにをやっても駄目だと思います。

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私たちは、日々、感動だらけであることに、

 気づいていないだけなんでしょうね…

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