( 今回は、2012年4月12日のメールを転写しました。住職)
自殺者が、毎年3万人を超えるわが国において、書店では、「心」に関する本が並んでいますね。
五木寛之氏の「下山の思想」では、
上のみを見つめて歩み続け、頂点を極めた日本にとって、今は、下山の時。
下山の時だからこそ、登り続けた時に見えなかった、草花や景色を楽しもう、
という内容でした。
その五木寛之氏は、「新・幸福論」の中で、「幸福」とは何かを投げかけています。
さすがに五木氏は、幅広い「幸福」という概念に、「これだ!」という答えは出していません。
読者に、「幸福とは何か」を導き出す “ヒント” を散りばめることが、目的だったんでしょう・・・
この本の中で、アウシュヴィッツ強制収容所に収監された、オーストリア医師、ヴィクトール・E・フランクリン氏が、究極の状態で見つけた「幸福」について書かれていたので紹介しています。
「新・幸福論」より
とうてい信じられないだろうが、
わたしたちは、アウシュヴィッツからバイエルン地方にある収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から、
頂きが、今まさに夕焼けの茜色に照り映えている、ザルツブルグの山並みを見上げて、
顔を輝かせ、うっとりとしていた。
わたしたちは、現実に、生に終止符を打たれた人間だったのに
―あるいは、だからこそ―
何年ものあいだ、目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。
わたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、
地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いで、
たえずさまざまに、幻想的な形を変えていく雲をながめた。
わたしたちは、数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
究極な状態で見つけた「幸福」というより、究極な状態でしか見つけられなかった「幸福」・・・
心惑う時代であるからこそ、
「無いものを嘆くのではなく、あるものに “感謝” する」
このことに “気が付く” ことが、「幸福」を見つける唯一の方法のような気がしますね・・・
(熊田光男)