「腹が立たなくなった?」

 

「FB」(知人住職の投稿を転写)

 こんな会話があります。

 「ごえんさん(お寺のご住職のことです)私はお寺参りさせてもろうて

腹が立たなくなりました」

 「はー あんたの周りはよっぽど善い人ばかりなんでしょうな」

「いやだからね ごえんさん 『私が』お参りして腹が立たなくなったんですよ」

 「へー あんたはほんとに周りの人に恵まれとりますなあ」

 「だ・か・ら 仏さまのお話を聞いて

 本当に私の腹が立たないようになったんですって」

 「ほー あんたはよっぽど周りの人に我慢してもらってるんですなあ」

 「ごえんさん!私の言ってることをちゃんと聞いてくれとるんか!もうええわい」

 

「おや あんたが今立てているのは何なんだい?」

 「・・・・・・」

 

 ちょっと意地悪なごえんさんですが(笑)確かに事実ですよね。

親鸞聖人は言われました。

 「凡夫といふは、無明、煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、瞋り腹だちそねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで、とどまらずきえず、たえずと、水火二河の譬にあらわれたり。」

 

 私の思いの中でどれだけ腹が立たなくなったといっても 縁に触れればすぐに腹立ちは現れます。お寺参りして腹が立たなくなるのではなくて 「さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いもすべし」という私をお寺参りで聞かせてもらうのです。

 

 私に先立って 腹を立てずにはおれない私の底の底まで見抜かれて だからこそ救わずにおれないと今私にはたらきづめでいてくださる仏さまがおられます。すべては「私」のために・・・それが「南無阿弥陀仏」阿弥陀さまです。

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