聴聞 【「FB」記事】

「聴聞」

浄土真宗では「聴聞」をとても大切にしています。仏さまの事を知るということは 自分自身を知ることと同義です。自分の事がわからない人は仏さまの事もわかりません。自分の中に決めつけを持つ人は仏さまのことも必ず決めつけます。

人は悩む生き物です。今悩んでいること でもそれは今そういう状況にあるというだけのことです。それですべてが終わったわけでも それで全てでもありません。起死回生を勝手に人生の目的に設定してしまっていませんか?今のままこのままの中で見出すこと。そのことがなければ 一生起死回生を夢見て人生が終わってしまいます。それは虚しいことです。今できることの中で見出すことが本当の意味での起死回生だと思います。言い換えれば 「生き直す」といえるかもしれません。

「あなたは何よりも大切な人です」これが阿弥陀さまのお心です。「仏さまなんて信じられない」という方もおられるでしょう。「私を救うなんて余計なお世話だ」と思う方もおられるでしょう。でも仏さまはそのことをよくご存知の上で願われています。「あなたを必ず仏にしてみせる」と仰ってくださるのです。

よく「自分自身を見つめる」といいます。でもそれは自問自答をすることではありません。自分を知ることは自分では決してできないからです。お釈迦さまが説かれたお経には私の事が書かれています。仏さまに何を聞くのか?私という命のことを聞くのです。書かれていてもわからないかもしれません。得手に聞くのが私ですから。

教えを聞いても答えが出るわけでもありません。なぜなら そのすぐに答えを出そうとする生き方そのものが 自分を苦しめていることに気づかされていくのが仏道だからです。仏さまに出会えない人・仏さまを疑う人こそが仏さまと出遇える道。その道を聴き聞いていく。それが浄土真宗です。

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