(2012年7月26日のメール)
私の心の中には、もう何年もなりますが、「何をしたところでしょうがない」というような思いがあります。
もちろん世間的な成功や楽しみはあるでしょうけど、この私が生きていく上でそれが一体何なのだろう、と思います。
それは単にすべてがむなしいと自暴自棄になっているというよりは、どこまでいっても自分、自分で、結局は自分を満足させることしかしようとしない、その人生が一体何なのだろうということです。
その思いが、特定の一つの物事に傾倒させることを拒みます。
見るべきものも見ずに、一つのことに集中し、その間の時間を無駄にしてしまうのではないかという恐怖と、
一つのことに賭けるということが自己完結的な態度に思え、そこにやりきれなさを感じるからです。
私は今仏教の本をいくつか読んで学ばせてもらっていますが、どこかで一線を引いていて、その線以上先へと進むことを拒んでいる自分がいるのがわかります。
自己を相対化していく生き方には何か引かれるものがあります。けれども、どこかでそれが本当に正しいのだろうか、それは私自身から生じた自己中心的な希求ではないか、と感じて足がすくんでしまうのです。
浄土の教えには限りなく引かれるものがあります。けれどもそれに完全に拠っていけないことに歯がゆさを感じています。
どこまでも自分、自分、でしか生きられないこの自分には本当に気が滅入ります。
そうかといいまして、自分を相対化して生きる人生というものが思い描けず、踏み込めず袋小路に迷い込んだような気持ちです。
なぜ私は自己正当化に追われて生きることに嫌気がさしているのでしょう。人間である以上これはなくならものと考えます。その上での浄土の救いであるとは理解しています。けれどもそれが頭でしかわからない・・・。
困りました。・・・・・
(2013/02/11)