ご信心をいただきたいのですが③

 

「ご信心をいただきたいのですが」という、問い合わせが、2012年7月に、このホームページにありました。「交流の広場」に掲載しています。

その後も、意見交換していますが、改めて「問い」と向き合い直してみます。

「苦悩、悲しみ、行き詰まりは大切であると教えられています。

どんな〈私〉を生きているのか、

どんな時代の物差しを生きているのかが問われる契機だからです」。

「いま、大切な時間を生きているのではないでしょうか」

そんなことを私がメッセージしました。その彼からの返事です。

(住職)

↓ ↓ ↓

(2012年7月23日のメールです)

回り道は良いことなのだろうか。仕方のないことなのだろうか。

それとも悪いことなのだろうか。

色々考えます。

 

私は今、いい時間を生きているのでしょうか・・・。

そう思いたいですけれど、なかなかそういう実感は持てないでいます。

 

私は人より、自分の人生について考えているという自負はあります。

そのことを心の中で誇ったりするときもあります。

けれども、「ずっとこのままの生活なんじゃないかなぁ」と思ったりするときなどは、

人生のことなんて考えないで、生きる方が幸せなのじゃないかとも思います。

 

人生を終えるときには後悔するのでしょうけれど、

何年あるかわかりませんが、それまでの間ずっと今のような思いのまま生きていくのであれば、

最後だけ残念な思いをする方が、まだマシなんじゃないかと思う気持ちは正直なところあります。

 

生きることを考えるのは大切なことなのでしょうか。

世間の道徳ではそれは大切だと当たり前のように言っていますが、

よくよく考えてみるとそれが本当に大切なことなのかどうかわかりません。

もちろん、私はそれが大切であると思って、というよりその問いにとり憑かれて取り組んでいるのですが、

それも、私が単に自己の存在意義を証明したい、知りたい、全うしたいとただ思うだけであって、

それとエゴとは違うのかと聞かれたとしたら正直なところ答えられないです。

 

浄土真宗では罪ということが大きなテーマになると思いますが、

そもそもエゴが罪なのかどうかもよく考えてみるとわかりません。

こんな話をしていると観念的な話になってしまうかもしれませんが。

 

 

罪について日頃思うところを書かせて下さい。

この前お話しましたように私は仕事ができませんので、親に養ってもらっているわけですが

そのことを本当に申し訳なく思っています。

 

申し訳なくていたたまれなくなったときには「南無阿弥陀仏」と称えさせていただくのですが、

どうもそこで「南無阿弥陀仏」と称えさせていただくのにひっかかることがあります。

自分の罪を帳消しにしてもらおうというのは虫が良すぎるのではないかと思うのです。

それで環境が変わり、母が気楽に生きていけるようになれば、それでもいいかもしれませんが、

状況は変わらないまま、ただ自分が楽になりたいと思う、その自分が本当にそれでいいのかと思うのです。

また、それが本当の浄土の救いなのだろうかと疑問に思うのです。

現実から逃げるために浄土の教えを、失礼な言い方かもしれませんが「利用」しているようにも思えてきます。

このような信仰で良いのでしょうか。これを信仰と言って良いのでしょうか。

 

私には信仰というものがわかりません。

正直な心の内を書かせてもらいますと、

「念仏を称えて生きること」は・・・・・求める気持ちは少ないです。

「極楽へ往きたい気持ち」は・・・・・あまりありません。

「仏」に救われたいかは・・・・・救ってもらえるなら誰でも良いという気持ちもあります。

「救われてからどのように生きるか」は・・・・・予想できません。

 

ご住職が最後におっしゃって下さった「信心獲得は結論ではなくスタート」とのお言葉、

確かにそうなのかもしれないなと感じました。

ですが一面、一体私は救われてから何をして生きたらいいのだろうとも思いました。

仏を信仰することもできません。

それに、私は極楽よりも死んで無になることの方を求めてしまいます。

ですから普段は極楽はないものと思いながら

(つまり自分の思い通りに教えを捻じ曲げながら)念仏を称えています。

こんな私が阿弥陀様の教えの信仰の真似事をしている。

こんなことをしていいのだろうか・・・、とそんなことばかり考えています。

人はどのように信仰をして主体的に生きていくのかについて知りたく思います。

 

(以上)

↑ ↑

 

その後も、何度か意見交換をしています。

この彼は、2012年12月、西恩寺の報恩講にお参りくださっています。

直接お会いし、お話合いもしています。

改めて、「問い」かけを、聞き留めたいと思います。(つづく)

 

読んでくださった方、ご意見をお聞かせください。住職

 

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