ご信心をいただきたいのですが、②

西恩寺HPに問い合わせをいただきました。前回の続きです。

「問い」を共有していきたいと思います。

I・Yさんから、メールの返事をいただきました(2012/07/22)

お返事、有難うございます。

あまり自己紹介もせずに突然、語りだしまして、失礼いたしました。

私はもうすぐ28歳になります。

中々申し上げにくいことなのですが、私は現在無職です。

理由として許されることなのかどうかは、わかりませんが、うつ病で精神科を受診しています。

仕事をしなければならないとは思うのですが、どうしてもできずにいます。

私の中に何か「このまま生きていてもしょうがない」「何をしたとしてもむなしい」というような気持ちがあって

仕事に限らず様々なことが手につかないでいます。

むなしいと感じている反面また、「このままではいけない」

「何か自分にとっても世の中にとっても甲斐のあることをしなければならない」という思いもあります。

そのような葛藤を持っていまして、日々悩んでいます。

それで偶然、歎異抄に出会うことがありまして、信心を求めるようになりました。

自分の悩みは親鸞聖人に従っていけばきっと救われるのだと思いました。

ですけれども、単に働くことから逃げているだけかもしれないとも思います。

ご住職から「なぜ信心を求めているのか」と問われまして、少し戸惑いました。

改めて考えてみますと、私は私の悩みを解消したいだけであって、

その方法が信心獲得でなくとも良いのではないかと思ったからです。

そうですけれども、親鸞聖人や法然上人のお人柄やその信仰態度にひかれているのも事実ではあります。

お返事を見まして、そのようなことを考えていました。

浄土の教えで救われたいという気持ちはあるのですが、苦しくてしょうがないのだから救われるのなら何でもいいという気持ちもあります。

信仰をしようにも、どのような態度でして良いかわからず、お念仏は称えさせていただいていますが、これで本当にどうにかなるのだろうかという思いが強いです。

それで困り果てましてメールさせていただきました。

対話をさせていただけるとのこと、有難うございます。

礼儀を知らず文章も稚拙なものですが、どうぞ宜しくお願い致します。

 

 

以上の内容でした。その後も、何回か意見交換をしています。

ご一読いただい方、「交流の広場」ですから、ご意見等、お寄せ下さい

(2012/08/16 住職 記)

 

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