[真宗仏教の人間像]
「仏法を聞いてください!と誘われてお寺に通っていますが、
よく分かりません。掴み所がありません、仏法は、私にどうなりなさいと、
言っているのですか?仏法を聞いたらどんな人間になるのですか?」
という、ご質問をいただきました。
私にとって「仏法を聞く」ということが、どういう出来事であるのかを、
問われたわけです。それは、真宗(親鸞)仏教によって生み出される
人間像とは何かということです。
「仏法を聞いたらどうなるの?」
仏法聴聞のご利益とは何か?という問題でもあります。
あなたはどう思われますか?
なぜ仏法を聞いているのですか?
仏法を聞くと、理想的な立派な人間になるのでしょうか?
災難から逃れることが出来るのでしょうか?
「仏法を聞く」とことが、人間の期待、要求の延長戦上に思い描くと、
掴み所がありません。当てが外れます。
ある先生にお尋ねしたことがありました。
「どうして仏法を聞くのですか?」
先生は「深く生きる」ということです、と言っておられました。
私の世界観、人生観、幸福観の否定(破られること)を通して、
人生全体(生きること)の「意味」を賜ることではないかと感じています。
(住職)