インタビュー(5)

三重県四日市市に「中日文化センター」があります。そこで6年、「親鸞講座」を担当しています。現在は『歎異抄』に学んでいます。20人ほどの方が聴講くださっています。

今回、講座に参加くださっている方にもインタビューをしました。(住職)

  • ◎ あるご婦人は現在77歳、少し身体が弱っておられますが、この講座には、一生懸命来られます。私が、この講座を担当する以前から、通われてます。理由をお聞きすると、家庭内の人間関係が、しんどくなって、ご主人が、気分転換に外に出るように勧められたそうです。

それで、この講座に参加するようになったのです。

ご婦人曰わく、

「教え」を聞いてきて、現実は変わらない、苦しみは無くならないが、「生きること」を「かるく」させていただけたと。「この講座だけは、なにがなんでも来ます」

と、いきいきと語ってくださいます。

私を育てるために、お越し下さっているように感じています。

  • ◎ お寺の坊守さんも参加されてました。

Q おところ、お仕事 年齢

三重県在住 寺の坊守   女性(60代)

Q なぜ仏法を聞かれるようになったのですか?

宗門の学校にて、教員をしていて、お見合いで高校の同級生と結婚。お寺に嫁すということが、どういうことかと、深く考えておらず、無責任だったと思う。今思えば 浄土真宗のお寺で助かりました。行事をこなし、子育てに奮闘しているうちに、年月が経ち、少し落ち着いた頃、法友の導きで仏法聴聞が始まりました。「毎日お参りしているから、病気が治った」とか「念仏していたら、それだけでいいのや」という年寄りの話に違和感を感じ、本当の話が聞きたいと思いました。

Q 仏法を聞いて感じていること、思うこと。

自分の気持ちが切羽詰っているときは、「請求書」をだしていて、余裕のあるときには 「領収書」としてお念仏を受け止めているなぁと思っています。自分の思い通りにならないこと全てが、私を育ててくださっていたと感じられ、この5月25日に104才で亡くなった姑とは、ずっとこころ安らかに通じ合える関係ではありませんでしたが、骨折し、車椅子生活になってからは、力関係が逆転。心底、祖母をいたわる子達に教えられて、入れ歯に触るのも嫌だったのが赤子に思えました。不思議です。再度の骨折で亡くなる1ヶ月ほどは、ギブスをしての本当の寝たきりでした。こうなるまで姑は、難儀な体をもてあましながら、まさに私のために、104まで生きてくれたのだと思って手を合わせています。

Q 今の関心事、課題があれば教えてください。

お寺の行事を、行事扱いせずに、そのことをご縁として、深く生きる手立てとしたいと思っています。 頭で仏法を理解するのでなく、生活そのものでありたいと願っています。

(2012/07/22)

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