国民である前に、人間であれ
三浦 綾子
北海道を舞台に、人間を深く見つめて生きたクリスチャンの作家・三浦綾子の晩年の至言である。日の丸・君が代の法制化の動きの中で、彼女の人間としての至誠の叫びが胸にひびく。
「人びとが国旗・国家の問題で苦しむのは、それが隣国を侵すシンボルとなった歴史を、人間として悔やんでいるからであって、日本という国を単に国民だからでなく、人間として愛すればこそである」
わたしたちは親に対して子であり、子に対して親であり、数えていけば何と多くの顔を持って生きていることか。もしそれらの統一点が不明のままであるとすれば、自己分裂、欺瞞(ぎまん)の人生に終わる。「人間として」、ここに真の統一点が。親である前に、夫・妻である前に、教師である前に・・・・、人間であれ。
2001年5月6日