仏教盛年会に集う

西恩寺仏教盛年会(3月24日)に参加して

今回のゲストのお話は、昨年3月11日の東日本大震災および福島原発事故の影響で、宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要が中止となり、「被災者支援のつどい」として開催されたことに対し、「なぜ御遠忌として勤めないのか」という思いと、「自分にとって御遠忌の意味」がはっきりしていないことが、改めて見えてきたという提起から始まりました。

また、身近な方が亡くなられ、その方に対して「本当に向き合っていたのだろうか」という思い(自責の念)があり、それらのことを通して「自己関心・自意識から一歩も出ていない自分」、「自己関心のみで生きていて、責任から逃げているのではないか」というお話でした。

その後「逃げる」ということが話題になり、「逃げているという認識は、却って、事実がはっきり見えているということではないか、大切な視点ではないか」、「本当に逃げている、ということになっていないのではないか」、「時には逃げることも必要ではないか」、「個人が感じる責任は、自分が思うほど、周りは考えていない」など、いろいろな意見がありました。

また「こういう会での、座談会は、自分を確認する場であり、大事な場所です。参加者が自発的に発言をして話し合いをすることによって深まる」との発言もありました。

今回は、皆がお酒もすすみ11時頃まで続きました。私も少々飲み過ぎましたが、全員がそれぞれに意見を出し合い、全体でまた個々に話し合いが続き大いに盛り上がりました。

「自己中心、自己関心、自己保身でしか生きていない」ということに改めて感じさせられた一日でした。

(世話役 和田清一)

1984年(昭和59)3月28日に第1回仏教青年会が開催されました。父親が、私が大学に入る年に、兄弟たちと共に、同年代の人に呼びかけをして「話し合いの場所」を持ってはどうか?ということから、始まりました。
春・夏・冬休みに当初4回でした。
父親が始めに問題提起をし、そこから話合いをし食事(酒席)を取りながら語り合うという会。

その後の会は、講師の先生を呼んで法話を聞いて、座談会。酒席。
そのうち、私と弟が交代で話をさせていただいていました。

またその後、会では参加者のみなさんからの「現場」の声を聞かせていただくようになり、メンバーはどんどん入れ替わり、一時は女性もたくさん参加していました。
近年は、そこに門徒さんも加わり、集まる人も30代~60代と幅広く、私自身が40歳を過ぎ、年齢も重ねたということで、「仏教青年会」改め、「仏教盛年会」という名に変更し、どなたでも参加できる会になっています。

ここ数年は、「自分を語る」ということで、参加の皆さんの中から、
お話をしていただいています。時々、ゲストをお迎えして、やはり「自分に向き合う」ということで「自分」を語っていただいています。
現在は、年3回の開催です。
聞かせていただく者は「問い」「課題」の発見です。

それにしても今回もよく呑んでいました。
結局、呑みたいだけか?というお声が聞こえそうです。
(住職)

 

This entry was posted in 行事報告. Bookmark the permalink.