「お手紙」の返事 ②

合掌

妙法様

あなた様から何回もお手紙を頂戴していましたが、直接お会いできるということで、その都度、お話しさせていただきました。だから、こちらから、お手紙を出したことがありません。
改めて今回、御礼のお手紙を送ります。

自坊の「仏教盛年会」で問題提起をしていただいた時に、ご両親の話を最初にしていただきました。お父様は食べる為の農業をして、お母様は自転車の後ろに大きな箱を載せ、呉服物の行商をされていたとのこと。行商の合間によくお寺参りをして、本山や別院へ行くと、必ず本をお土産に買って、その本をお父様がよく読んで、また大学ノートに書き写していたというお話でしたね。あなたを真ん中に挟んで夜、寝床に付くと、仏法の話し合いをしていた。「蓮如さんの、弥陀をた のむって、お前どう思う、母ちゃん?」。そんなご両親の会話を聞きながら、お育ちになり、また、「人間に生まれるということは、たとえば富士山のてっぺんから麓まで糸をたらして、針の穴に糸が通ることがあっても、人間に生まれるということはもっと、有り難いことなんや。生まれ難い人間に生まれさせてもらったからには、仏法を聞かなあかん、しっかり聞けよ。この世は逆さま事やでなぁ」と、50年以上も前の母親様の言葉を、よく思い起こしているということでした。

仏法を聞き学ぶという「この道」をご両親がつけてくださったんですね。45歳の時にご主人を亡くされ、その後も、いろんなことがありながらも、仏法を聞く場に身を運んでおられたようです。そのエネルギーは、たくさんのお友だちと先生方との出会いだと、喜んでおられました。本当にいつも喜んでおられました。

65歳で病気に出遭っても、一段と生きる意欲が溢れ出て、生き活きしていましたね。
「思いがけなく、病気のご縁を頂き、今まで目先の事ばかりに追われて、根本問題に向き合わず、やり過ごして、生きてきたことに気がつかされました」
と、言われましたね。

そしてまた、次の言葉は衝撃でした。

いつまで生きたらいいのかと (何歳まで生きたら納得するのかと)

如来のご催促 ガン仏 (癌ぼとけ)

ガン仏、あなたのおかげで自由になった。

これから耳をかたむけて、聞いて、聞いて聞きぬきます

65歳になって、いまだに、いつまでたっても命があると、

いつか仏法が分かるものと、今を忘れていた。

そして、いつも娑婆の中で、不自由していた。

がっちりと妄念妄想にしばられていた。

今、ガン仏のおかげで、めどがついた。

如来の願心によりかかり、自由になって生きよう。

よかった、よかった願心に生きよう。

「ガン仏、我欲を知らせる願薬なり」、

この世で一番幸せ者です。不思議です。

「死すべき身を忘れて生きてきた」ということを、病気をご縁に気づき、余命半年と告げられ、そこから「このこと一つ」、ひたすら求め、聞き続けてくださっていました。「宿業」とは何か、「三願転入」とは、今までハッキリしていなかったことを、探求してくださいましたね。その真剣さにこちらが、たじろぎ、説明(説迷)に終始するばかりでした。

病院では、同室の方々の声を聞いて「語り合い」をしておられたようで、友人が見舞いにいったとき、「ここに本当のことがある。外へ出ると(退院すると)、虚飾ばかりだ。人間の事実を見ていない」、と教えてくださったと、聞きました。

その後、お薬が、よく合ってか、少し回復していきましたね。何度か入退院を繰り返しながらも、病院へは、「ただいま!」と、たくさんの本を持って、旅行に行くみたいに出かけ、退院すると、また聞法会に出かけ友だちと語り合い「あり難い、もったいない」と、そのいのちを燃焼していきました。

 

 

新しい会を作って友人と私が、あなたの学び(問い)をお聞かせいただきました。

何度か、「私、今まで何を聞いてきたんやろ。仏法っていったい何なの」とか、「もう残り僅かな人生なのに、仏法がはっきりしない、どうしよう」、「周りの人は、みんな教えがよく聞こえているのに(信心がはっきりしているのに)、私は・・・・」と、焦る姿も、求道のお姿でした。

たくさんのお友だちに囲まれ、お声をたくさん掛けていただいていましたね。

なんと言っても、ご家族の支えを、喜んでおられました。できるだけ自宅で過ごさせたいというご家族の思いで、介護をしていただきましたね。

いつも家族に手を合わせておられたと思います。

 

ご子息からお聞きしたことですが、だんだん、癌が転移し、病が重くなり、記憶等が弱ってこられた頃に、ケアマネージャさんが、病状を知るための質問をされた。

「あなたはどちらから、来られたのですか?」
即座に、「三朝浄土です」と、応えられたそうですね。
相手の方はどう思われたのでしょうか。重い症状と捉えたのでしょうか。私は驚きと感動をいただきました.

 (その場面を想像すると、ちょっと笑ってしまいましたが。)

2011年12月27日、68歳で、「三朝浄土」にお還りなさいました。たくさんの言葉を残し、生涯かけて、求め続けた姿を確かに見せていただきました。「ご聴聞」のご生涯でした。

 

 

 

「さらば行け!この道ひとつ失わず」

の呼びかけとして、承りました。ありがとうございました。

「百ヶ日法要」を前に、御礼まで。

                  池田徹 拝

(追伸 上記のイラストは あなた様のノートから転写させていただきました。)

 

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