彼岸お中日の3月20日、春の彼岸永代経法要が行われ、午前の住職の法話を聴聞させていただきました。
お話は、住職が小学校の「総合」の授業に行かれて、住職という仕事について話をされたそうです。授業を受けた小学6年生の皆さんが文化祭で、その聞いた内容を発表された。その資料を題材に始められました。
法話の中で、私が特に気づかせていただいたことは、「自分のことしか考えないときに、生きる力が萎えていく」ということでした。
「自分のことしか考えない」ということの中でも、「自分の悲しみだけを悲み、 自分の苦しみだけを苦しんでいる」というあり方が、意欲喪失の姿ではないか。原因は外ではなく、内にあるのだということでした。
生きる意欲を持ち続けていくためにも、気づかせていただけたことをしっかりと持ち続け、「くらべず、あせらず、あきらめず」に行こうと思ったことです。
(世話役 髙木 眞)
午後の前住職の法話を聴聞させていただきました。
聞法していますが、「思いのレベル」でしかないと思います。
仏道は「身のレベル」と聞きますがどういうことでしょうか。
今回の法話も「思いの外に立つこと」、「身が念仏している」。「この存在の
私の仏法の聞き方が問われました。
また「現実の問題が私の生き方を問う教材(課題)としてある」。
「いかに私が現実の問題に無関心、
「人知の闇、人間過信、
あと、印象に残った言葉は「
(総代 桑原 克)