ほぼ毎日、社員の皆さんに社長さんがメッセージを
送り続けておられます。
(2018年1月24日 熊田光男さんメール)
社員の皆様へ
一昨日、〇〇会社の告別式に参加しました…
最後の花を手向ける親族を前にして、ひそひそと仕事の話を投げかけられ、
「こんな時に…」と感じながら、
答えるのを躊躇したので、露骨にわかるくらい小さな声で答えてやりました。
こんな時には、芥川賞受賞作、滝口悠生の「死んでいない者」を思い出します。
私たち「死んでいない者」は、『死』を目の前にして、
『生』を感じるという、大切な時間を、
この葬儀から、いただいていると考えるべきではないでしょうか…
作家、五木寛之のベストセラーエッセイに、「大河の一滴」があります。
五木寛之は、このタイトルに、「生と死」「いのち」の意味を込めています。
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われわれは、「大河の一滴」として流れ下っていく。
その生命の海にもどった“いのち”は、
太陽の光に熱せられて、海水が蒸発して、水蒸気として空にのぼるように、
われわれの“いのち”も空にのぼっていく。
そして、今度は雲となり、それが霧となり、雨となり、
雪となって地上に降り注ぐ。
木の葉を潤し、森を潤し、山の峠に積もる。
それが溶けて、地面に滲みこんで小さな流れになり、渓流になり、
そして、工場用水に使われるか、それとも水田を潤すか、それはわかりません。
でも、いろんな形で使われていく。
われわれは、生きて一所懸命働いて、
“こころ”も疲れるけど、“からだ”も疲れる。
と同時に“いのち”も疲れてくる。
疲れた“いのち”は最後には、汚れた水も、きれいな水も、
全部ひとしなみに大河に流れて、
大河と一緒に、ずっとまた海へ戻って吸い込まれていく。
それで疲れた“こころ”と“からだ”と“いのち”を海で癒して、
また海の中から、いずれ太陽の光に熱せられて
蒸発していくわけですね。
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「死んでいない」私たちは、
“いのち”を感じ、
もう少し謙虚に、
生きるべきなのかもしれませんね。