鈴木君代さんからの発信(お願い)

井上嘉浩さんの死刑執行を回避し

恩赦を求める署名のお願いです

< 趣 旨 >

2018年1月20日、オウム真理教事件の被告であり元信者の高橋克也さんの刑が確定しました。このことによって、1995年7月に始まったオウム事件の裁判は、22年6カ月を経て全てが終わりました。共犯者の刑が確定するまでは死刑を執行しないことが慣例とされていますが、 裁判の終結により、いつ死刑が執行されてもおかしくない状況になりました。

私は、井上嘉浩さんと十年間にわたり東京拘置所で面会を続けさせていただいています。死刑判決を受けた井上さんを支援する会の通信『悲』に掲載された私の投稿文を読んだ井上さんから手紙が届き、交流が始まったのでした。

井上さんの存在を知ったとき、「京都で同じように悩みを抱えた一人の人間として、すれ違っていたかもしれない人」と私は思いました。幼少期から暗い闇の中で、「何のために生まれてきたのか」と道を求め、人を求め、寺院を訪ね歩き、たまたま親鸞聖人の仏教に出遇えた私は、悩みながらも今、歩ませてもらっています。「どんな人に出遇ったか」、人はその出遇いによって一生が決まります。そして誰もが、思いどおりにならない現実の中で悩みを抱えて生きています。誰もが出遇おうとしても出遇うことの出来ない苦しさ、押し寄せる不安感、どうすることもできない孤独感と共にあります。

井上さんは、高校二年生のとき、「何のために生まれてきたのか」という深い悩みの中で、オウム真理教に入会し、真摯に道を求めたからこそ、教団の要職を任されました。彼が高校生まで暮らしていた場所(京都市右京区)は私の生家の近くでしたから、尚更に他人事には思えずにいます。 ですから、拘置所のアクリル板の向こうにいるのは、私だったかもしれないと思いながら面会しています。私と井上さんとは、たまたま出遇った人が、出遇った教えが違っていただけなのです。

井上さんは、毎日、自分の犯した罪の重さに苦悩し懺悔されています。「二度と救済の名の下において、同様の事件が起きませんように、何度も自問せずにはいられません」と言われています。その存在は、誰の中にも在る闇を見つめさせ、常に、「どんな人も殺してはならない、殺さしめてはならない」と知らしめます。同じように悩みを抱えた若者たちが、カルト宗教に向かわぬよう、再びカルトによる悲劇を繰り返さないために、被害者すべての人に贖罪しながら、一生、拘置所の中で真相を明らかにしてもらわなければなりません。

1995年オウム事件以後、2001年9.11同時多発テロ、最近ではイスラム国の台頭により、一般に‘宗教は怖い’と言われるようになっています。何が怖いのかを吟味することなく、‘宗教は怖い’と線引きすることは、もっと怖いことだと私は思います。むしろ‘何が人間を迷わせるのか’‘何が人間を目覚ませるのか’をはっきりと見きわめる眼こそ宗教の本来であろうと思います。井上さんには自身の過ちを通して見えていること、真実を求めながらも流転し続ける人間の業について、語り部になっていただく使命があると私は信じます。

井上さんには、宗教という名のもと、もう二度とあのような犯罪が起こることがないよう、世界でも類を見ないオウム事件の真相を明らかにしつつ、決して償いきれるものではない重い罪を自らに受けとめ続けてほしい。そう願わずにはいられません。一審で無期懲役の判決を下した井上弘通裁判長は、「一人の人間として、自らの犯した大罪を真剣に恐れ、苦しみ、悩み、反省し、謝罪し、慰謝するように努めなければなりません」と言われています。

生きて償い続け、カルトの恐ろしさを伝えるために、死刑執行を回避し恩赦を求める署名をお願いするものです。

真宗大谷派僧侶 鈴木君代

[署名用紙]

署名用紙は、以下の用紙をA4で2枚の紙にプリントアウトし、A3サイズにして、コピーしてご利用下さい。
⇒  井上嘉浩氏署名用紙

 

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