尾畑文正先生のことば

(泉称寺「永代経」法要 案内文を掲載します  住職)

 

この寒さ厳しい冬の季節も、あとしばらくの辛抱で穏やかな日が巡ってきて、生き物たちも動きだし、樹々の芽も膨らんできます。三月初旬は「啓蟄」といいます。啓蟄とは春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくる頃です。冬の寒さの中でじっくりと蓄えた生命のエネルギーが、春になると一気にほとばしってものみなを光り輝かせるのでしょう。以前、人間国宝の染織家志村ふくみさんの本に、サクラの色を出すためには、芽が膨らんでいるサクラの木を切り、その木の樹液からサクラ色をだすのだと書かれていました。春爛漫を彩るサクラのピンク色は冬の厳しさの中で育っているのです。
それと同じように、私たちの重苦しい現実生活もまた、私を人間として育てるのでしょう。しかしそうはいっても次から次へと様々な問題が起きてきて、どう考えていいのか訳の分からないまま、日々が過ぎ去っていきます。でもその訳の分からないままに身を流れに任せるだけではなく、なんでこうなるのだろう。なにがどうなっているのだろうかと、やはり、悪戦苦闘して私たち自身が、私の人生を考えないとならないでしょう。そうでなければ私たちの人生の花も開くことはないでしょう。

最近テレビで「真実は闇の中••••政府は必ずウソをつく?」という番組を見て、非常に考えさせられました。例えば、アメリカではイラクを攻撃するときにイラクには大量破壊兵器が隠されているという理由で戦争を始めました。その結果、どこにもイラクには大量破壊兵器などありませんでした。日本では東京電力•福島第一原子力発電所の水素爆発を隠していました。更には爆発によって放出された放射能に対して「直ちに健康に影響は無い」として、放射能の流れをシュミレーションするSPEEDI(スピーディ)とよばれる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの情報を隠して、沢山の福島県民を被曝させました。

こういうことのないようにするためには、私たちこそがこの訳の分からない冬の時代に、切磋琢磨(せっさたくま)して、真実を見極める眼を開かなければならないと思います。そういう努力の果てに、春爛漫の時もまた向かえる事もできるのでしょう。間違ってもかっての戦争の時のように靖国神社のサクラの下でまた遇おう…などという言葉が出ないような国にするためにも、何が真実で何が虚偽かを知る智慧が求められています。

「永代経」において仏法に学び聴聞させて頂くという事は、仏教の言葉を覚える事ではありません。どこまでいっても、我が身と我が世界の安穏だけしか考えないような自己中心的な「私」の真実を、仏様から学ぶ事です。これが仏法聴聞の真髄(しんずい)と思います。

聖徳太子の言葉に「世間は虚仮なり。ただ仏のみこれ真(実)なり。」とあります。特に親鸞聖人の教えでは、仏様が文字通り、身を乗り出して、私の中に、南無阿弥陀仏の名となって、「おまえはそれでいいのか」と、私どもの「虚仮」性を、いつでもどこでも、叫んでいてくれます。その働きに謙虚に、真向かい「南無阿弥陀仏」と念仏申すときに、私たちの生きる道もまた開かれてきます。

(2013/02/27)

This entry was posted in 交流の広場. Bookmark the permalink.