ご信心をいただきたいのですが⑧

(2012年12月5日のメール)

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私の質問というのは突き詰めて考えてみますと、

すべて「私はこれで良いのでしょうか」というものだったと思います。

それは「それでいいよ」「いや、こうしたらいいよ」という答えを想定してのものでした。

ご住職にも申し上げましたが、私の悩みは「足場がない」ということです。

改めて、自分が収まる枠を探していることに気付かされました。

 

外側からどんな価値観を提供されても私の心は満たされないのだということがよくわかりました。

私は常々「外側に答えはない」と思っていたのですが、

最後のところで、“本当にわかった人”から「それが正解だよ」「こうするのが正解だよ」と言ってもらって、

不安定な足場を安定させたいという気持ちが働いていたのだなと思い知りました。

 

これまでの私の態度は、失敗する前に軌道修正をしようとする、いわば中途半端な姿勢でしたが、

報恩講を通して、自分が破られるまで如来と一対一で向き合っていこうと改めて思い直しました。

今まで周りの評価(自分の頭で考えているだけできちんとした教えを受けていない等)に揺すぶられていたのですが、それらに振り回されないで、自分で得心がいくまで求めようと少しふんぎりがつきました・・・・・・・・・・・・・・。

 

(2013/04/27)

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