西恩寺は、4日の「同朋講座」に、前住職のご縁の方々が聴聞に来られます。中でも、仕事中心の30代~50代の方々もおみえです。仕事の都合をつけて、聴聞に来られます。 もちろん60代~80代の方も。
また30年~40年と続けて、足を運ばれる方もいます。さまざまです。
今回、3人目の方のインタビューです。
質問は基本的に以下の通りです。
①おところ・お仕事・性別・年齢
②なぜ仏法を聞かれるようになったのですか?
③仏法を聞いて感じていること。思うこと。
④今の関心事、課題があれば教えてください。
という内容をお聞きし、ご返事をいただきました。
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Q おところ・お仕事・性別・年齢
福井県・会社員・女性(50代)
Q なぜ仏法を聞かれるようになったのですか?
先に仏法のご縁を頂いておりました母が、突然の病に倒れ、その後、リハビリ等を経て、やっと回復してきた頃に、「どうしても西恩寺さんへ聴聞に出たい」と言い出しました。「まだ無理だ」と家族が説得しても、受け入れてくれません。それで仕方なく、私が同行する事となり、それが私にとって、初めて仏法を聞くきっかけになりました。
Q 仏法を聞いて感じていること、思うこと。
私にとって宗教(信仰)とは、家の奥に置かれているお仏壇が宗教であり、そして、それは今、生きていて生活している私に必要となるものではありませんでした。かといって、他に(他者に)今まで生きてきた、私の持っているものを、さらけ出し、それを預けることもできないのです。
ですから私のどこかに、今まで宗教や他者にすがることもなく、「私は私なり」に判断し、決断して生きてきたし、生きてこれたじゃないか、という思いがあります。そんな私が仏法を聞いて感じる事とは・・・・・・。
今、何故、私は仏法を聞いているのだろう・・・・。
仏法は、私とどう生きていくのだろう・・・・・・。
仏法を聞くことは、問われるかたちとなって、私に問いかけてきます。確かに聞いた事は覚えていられないし、消えていってしまいます。でも、問いは残ります。その問いが今、私を聴聞へと向かわせるのだと思うのです。
Q 具体的にどんなことが問われてきたのですか?
今、どう生きているのかということでしょうか。
自分の思いを中心に、自分の考えを頼りに生きてきました。どこかで、その自分の危うさを感じてはいましたが、深く考えないようにしてきたのだと思います。
そして、そういう中でもそれなりに自負心をもってきましたが、その反面、拠りどころを探していたようにも感じます。
そういう私が「教え」を聞いて自分の危うさに気づかされてきたのだと思います。自分への「疑い」が始まったのでしょうか。
今、当たり前にしてきたことが、問いとなることが驚きです。
Q 今の関心事、課題があれば教えてください。
今の関心事は、と問われれば、福井県民である私にとって「おおい原発再稼働是非の問題」という答えになるでしょう。
「3・11東日本大震災」。あの日から1年以上が過ぎた今でも、新聞やテレビで報道される被災地の復興の遅れや、終息が見えない福島原発事故と、放射能汚染問題。そこには被災地の人々の厳しい現実があります。
でも、そのテレビのスイッチを切ってしまえば、震災前と何も変わらない私の生活の内で、それは私の現実ではなく、私の問題とならないのです。
我が身に痛みとなって降りかかってこないかぎり、問題を私の問題とはしないし、私の関心事にならないのでしょう。
そして今、「おおい原発」は再稼働へと向かって動いていくのでしょうか・・・・・・・。
ご協力ありがとうございました。(2012/06/06)