私が受け止めたこと、
私が考えたこと、
私が理解したこと、
私が思ったこと。
を、基本的に
疑わないし、
その自分の考えたことは
無意識に正当化されている。
だから
ありのまま、
そのままを、
事実を
事実として
真っ直ぐに
受けとることができない。
かならず
私の色めがね
でしか見ていない?
自分の物差し
考え方を
基準にしている。
だから
了解は
誤解
(ほんとのことが見えてない)
と言わざるを得ない。
自分の物差し
在り方に
疑問を持てる人は
すばらしい。