西恩寺宗祖750回会開会宣言

西恩寺宗祖親鸞聖人750回会大法要

【開会宣言】責任役員 熊田正三

みなさま、本日は、ようこそおまいりくださいました。

IMG_9083

 

この度の、西恩寺「宗祖親鸞聖人750回会大法要」をお迎えするにあたって、5年前から話し合いが行われてきました。なぜ「法要」を勤めるのか、いったい誰のために勤めるのか、勤めなければならない理由はどこにあるのか等、「門徒委員会」で話し合われ、その後、門徒会「総会」で意見が交わされてきました。そして話し合いを積み重ねて、次のような願いが表現されました。

我々一人ひとりが、親鸞聖人の「念仏の教え」に出遇い、寺との縁を深め、「真宗門徒」としての自覚を育てながら、次世代まで、仏事(お参り)を通して、「仏法相続」を願いとしていく。そしてこの「仏法の道場」である西恩寺を維持、相続していくご縁とする「大法要」。

という趣旨が確認されたことです。「真宗門徒」の自覚と「仏法相続」を願ってお勤めしていくということです。

本日は、その願いの「はじめ」-出発点としての「法要」ということです。本日の「法要」がゴールではなく、新たな「スタート」になることが願われているということです。

そしてこの度、「仏法の道場」である西恩寺を維持、相続していくために、門徒会の方々、婦人会、そして有縁の同朋のみなさんの多大なるご尽力で、新しくご本尊をお迎えし、耐震・修復工事が完成したことです。あらためて、深く感謝し、御礼を申し上げます。ありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。

さて、あらためてこの「法要の願い」に掲げられました、「念仏の教えに出遇う」ということ、「仏法を聞く」ということは、われわれ一人ひとりにとって、どういうことなのでしょうか?

私は、「仏法は生きる原動力である」ということを感じております。日々ご縁の中で、揺れ動く心を据える大地、立脚地を教えられたのです。言い換えると「大いなる安心をいただいて、目の前の現実と勝負していく-悪戦苦闘していく力を与えられたということです。

我欲に使われ、心に振り回されてばかりの生活の中で、かつて「欲は使うものであり、煩悩を使い切ることだ」と聞いた時に大変、驚きをもったことです。それは、仏法―「道理」に目覚めることにおいて言える世界でしょう。仏法聴聞は「主体性の確立」-拠りどころをいただくことです。そこにおいて「不安な心」や、「我欲」いっぱいの自分と向き合って、生きていくことが可能になるのだろうと思います。それは「いのちの道理」に気づかせていただくことだと思います。

このことは、私自身「父親の急死」という出来事が、仏法聴聞の強縁となりました。その現実から「いのちの私有化」という生き方を知らされ、そして「お与さま」という「いのちの事実(道理)」を教えられたことです。

「お与さま」という教えの言葉は、仏法聴聞の結論や、気持ちの持ち方、心の問題ではなく、まさに「いのちの事実」であり、それは「今・ここ」の「いのち」の深さ、広さに気づかせていただくこと、当たり前でない「いのち」への驚きをいただくことだと思います。「お与さま」のいのちを知って初めて、波乱万丈の人生に、しっかりと足を地につけて、一歩いっぽ、歩ませていただけるのです。「お与さま」は人生のスタートになる教えです。

その「お与さまの」の人生を精一杯、全力投球させていただきながら、仏法聴聞、「この道一つ失わず」歩ませていただきたく思っています。

今日のいのちの不思議を憶いつつ、50年に一度の「大法要」に遇えた喜びを想いつつ、

ただいまから「西恩寺宗祖親鸞聖人750回会大会法要」を厳修いたします。

合掌 南無阿弥陀佛

(2017年5月4日)

This entry was posted in 西恩寺宗祖親鸞聖人750回会大法要. Bookmark the permalink.